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2006ソスN8ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2082006

 稲妻や童のごとき母の貌

                           恩田秀子

語は「稲妻」、遠方で音もなく光ります。窓脇にベッドが置いてあります。病院の一室かもしれません。窓の外ではすでに、暗闇が深まりつつあります。ベッドに横たわる母親の顔に一瞬、窓の外から光が入り込んできます。その光に照らし出された老いた母親の顔が、子どものように見えた、とそのような句です。時の流れと、空間の広がりを、同時に感じさせる静けさに満ちた句です。母子の守り守られる関係というものは、気がつけば、いつのまにか逆転しているものです。時の流れとともに、子は成長の傾斜を上ってゆき、その傾斜のどこかの地点で、老いの傾斜を下ってゆく親とすれちがうのです。かつて、若く、いきいきと振舞っていた母親の姿が思い出されます。そのそばには、幼く、頼りなげな自分の姿があります。そのころを懐かしむ思いが、今は童のように見える母親の顔にかぶさってゆきます。「稲妻」という言葉は、雷光が稲を実らせるという信仰からきたものと言われています。つまり、光が稲の夫(つま)であるということです。そうであるならば稲妻とは、肉親の情が遠方から、はるばる光を送り届けているということになります。同じ作者の作品として、「母の日や童女のごとき母連れて」「残菊やなほ旺んなる母の齢」など。『俳句入門三十三講』(1986・講談社学術文庫)所載。(松下育男)


August 1982006

 一筋の湯の町沈め星月夜

                           今井つる女

月夜、ほしづきよ、ほしづくよとも。月はなく、満天の星が月夜のように明るい秋の夜、月が主役となる前の今頃からか。〈遠きものはつきり遠し星月夜  広瀬ひろし〉とも詠まれているが、月夜より澄んだ空気感がある。掲句は、昭和36年、箱根の大平台温泉にて星野立子を囲んだ句会での一句である。その頃、祖母つる女も含め私達一家は、箱根の入り口の風祭(かざまつり)という、今思えば風情ある名前の町に住んでいた。当時は、万屋(よろずや)が一軒あるだけの山里であったが、星空、とりわけ濃く流れる銀河が忘れがたいのは、私の場合五十年近く前だからか。小学生の頃初めてプラネタリウムに行った時、たいしたことないなあ、と思ったのも忘れがたい。大平台温泉は、国道1号線から分かれる道沿いに小じんまりと宿が並ぶ。その日の第二句会の締め切りは午後八時。登山電車を降り、立子一行が待つ宿に向かう作者に、峡(かい)の空から星が降る。星月夜、という季題を得てさらりと生まれた一句と思う、しんとした夜気が感じられる。「沈む」ではなく「沈め」として軽く切れ、星月夜に焦点がしぼられる、考えてそうしたわけではないと思うが。今日八月十九日は、奇しくもつる女の祥月命日、一昨年十三回忌を修した。偶然ながら8.19,「はいく」の日。2006.8.19が土曜日なのも何かの縁かと句集を読み返し、今までに例句の少ない季題を選んでみた。今や都会ではまず出会えないということもあるけれど、美しさゆえ、句になりづらい季題のひとつと思う。『花野』(1974)所収。(今井肖子)


August 1882006

 運慶とのつぴきならぬ昼寝かな

                           平山雄一

倉時代を代表する仏師運慶は、東大寺南大門の金剛力士像や興福寺の無著・世親菩薩立像などが代表作。運慶作の仏像を観た興奮が作者の中に残っていて、その昂ぶりを抱え込んだまま昼寝の刻を過ごしている。実際に眠ったのか、悶々としたのか、はたまた夢に運慶が現れたのか。とにかく仏像という作品を通して運慶という芸術家の魂が現代に生きる作者の魂を揺さぶったのだ。それが「のつぴきならぬ」。八百年余の時を超えて二つの魂が出会う。そして、この句に漲る青春性は、なんと言っても「昼寝」にある。明るい光の中で畳に仰臥する姿は、大らかでいて、どこか捨身無頼の生き方を思わせる。作者の中にそういうことに対する憧憬や予感があったのかもしれない。『天の扉』(2002)所収。(今井 聖)




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