September 012006
洋上に月あり何の仕掛けもなく
三好潤子
凪いだ夜の海上にぽっかりと月の浮ぶのを見るとき、まさにこんな感じを抱く。空間に存在する「もの」を知のはたらきで関係づけるという「写生構成」を説いた山口誓子の戦後の秘蔵っ子のひとり。その作品は六十年代から七十年代にかけての「天狼」同人欄を席巻した。内容は「見立て」の機智ということになろうが、この独特のリズムと素っ気無いまでの論理性が誓子調本流。魅力もそこにある。仕掛けのある月もあった。ワグナーに入れ揚げた南ドイツ、バイエルンの王様ルートヴィヒ2世は、国の財政を破綻させてまで、凝りに凝った城ノイシュヴァンシュタイン城を造り、城内に人工の月を掛けてその下を馬車で巡ったそうな。三好潤子は大阪生まれで和服の似合う美人。活発な人柄だったが、生涯はさまざまな病気の連続。1985年六十歳、脳腫瘍でこの世を去る。『澪標』(1976)所収。(今井 聖)
October 082010
我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな
杉田久女
女性看護士への悪口。「芋の如肥えて血うすき汝かな」同時期にこんな句もある。僕の友人だった安土多架志は長く病んで37歳で夭折したが、神学校出で気遣いのある優しい彼でさえ、末期の病床で嫌な看護婦がいるらしかった。その看護婦が来るとあからさまに嫌な顔をした。病院という閉鎖的な状況に置かれた人の気持ちを思えばこういう述懐も理解できる気がする。同じように長く病んだ三好潤子には「看護婦の青き底意地梅雨の夜」ある。それにつけても看護の現場に生きる人は大変だ。閉鎖的空間に居ることを余儀なくさせられた病者の気持ちに真向かう職業の難しさ。俳句は共感というものを設定し、それに適合するように自己を嵌め込むのではなくて、まず、自分の思うところを表現してみるということをこういう俳句が示唆してくれる。「詩」としての成否はその次のこと。『杉田久女句集』(1951)所載。(今井 聖)
July 292011
暗き天にて許されて花火爆ず
三好潤子
これが誓子の「天狼」正系とも言うべき作風だ。自然の「もの」と「もの」との関係を「知」の働きで結ぶ。機智には違いないが、どこか突き放して詠うために一句の颯爽としたスタイルが強調される。言辞に粘着性がないのだ。すぐれた機智には必ず己れが乗り移る。詠う側に祈りがあるからだ。中耳結核、肝炎、両下肢血管栓塞症、脳腫瘍。生涯、難病と付き合いつづけて1985年59歳で逝く。「暗き天」も「許されて」も納得がゆく。潤子はじゅんこ、着物の似合う美しい女性であった。『曼珠沙華』(1989)所収。(今井 聖)
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