September 122006
露の玉こはれて水に戻りたる
塩川雄三
露ほどさまざまな象徴を込められている大気現象はそうないだろう。袖の露(涙)、露と消える(はかなさ)、露の間(ほんのわずかな時間)など、あげればきりがない。しかし、実際に実物を目にすれば、やはりそのいつとも知れずできた細やかな美しさに心をうばわれる。掲句ではきらめく太陽を封じ込め、天地を映していた端正な露の玉が、持ちこたえられず一瞬にして形を崩す。雫となってしたたり落ちた水滴は、今やなんの肩書きもないただの水だ。張り詰めた美しさから解放され、心持ちほっとした様子を作者は水のなかに見て取り、完璧な美を破壊することで、露の玉の存在はあらためて読者に明確に印象付けられる。あくまで写生句として位置しながら、秋の静けさを背景に持ち、整然と美しい玉が壊れて水に戻る健全さが描かれ、さらに露が持つ文芸的要素を浮遊させる。源氏物語を始め、露が命のはかなさや涙などをたとえている多くの小説のなかで、掲句に壇一雄の『光る道』を重ねた。三の宮の姫君を背負い宮廷で働く衛士が失踪する道中で、ふたりの長い沈黙を破ったのは一面の野に散り敷かれた白玉の露だった。姫宮は自然の光に輝く露に囲まれ、はじめて声をあげる。美しくもはかない白玉の露が、姫宮と現実との初めての接点であったことが、その後の結末を予感させる華麗で残酷な小説だった。十七音に絵画や小説を凝縮させる力を思い、これこそ俳句の大きな魅力だと感じる。『海南風』(2006)所収。(土肥あき子)
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