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September 2192006

 大阪の夜霧がぬらす道化の鼻

                           石原八束

温が急に下がり空中の水蒸気が冷やされると霧が発生する。今や不夜城となり、昼の熱気がいつまでも去らない都会ではめったにお目にかかれない自然現象だろう。大阪の夜霧が濡らす道化の鼻とは誰の鼻をさしているのか。作者自身の鼻ともいえるし、ピエロの赤い鼻、道頓堀の食いだおれ人形の鼻などを思い描くことができる。たとえ対象が外にあったとしてもこの情景に投影されているのは作者の鋭敏な自意識だろう。大阪を来訪した八束は、時にやんわり、時にはあっけらかんと言葉を受け流す上方の如才ないふるまいに、孤独の思いを深くしたのかもしれない。世間と関わる自分を道化と言わずにはおれない八束の胸塞がる思いがこの言葉に託されているようだ。深い夜霧に身を沈めたいのに、顔の真ん中にでっぱっている鼻は隠しようがない。昼は人目に晒され、夜は霧に濡れるにまかせている道化の鼻は八束にとって羞恥の象徴なのかもしれない。道化という言葉と句の醸し出す雰囲気に太宰や織田作之助といった文学の匂いを感じる。時代は遠く、いたしかたない自分の身を隠したくとも煌々と明るい都会の夜に夜霧は遠のいていく一方なのかもしれない。『秋風琴』(1955)所収。(三宅やよい)


September 2092006

 秋刀魚焼くはや鉄壁の妻の座に

                           五木田告水

日、銀座の「卯波」で友人たちと数人で飲み、今年の初秋刀魚を塩焼きで食べた。大振りでもうしっかり脂がのっていておいしかった。食べながら、いつかのテレビでお元気な頃の真砂女さんが、客が注文した秋刀魚をかいがいしく運んでおられた様子を思い出していた。真砂女の句に「鰤は太り秋刀魚は痩せて年の暮」がある。その時期のスリムな秋刀魚も、それはそれでひきしまって美味である。近年、関東でも食べられるようになった秋刀魚の丸干しのうまさ、これもたまらない。さて、秋刀魚の句にはたいてい火や煙やしたたる脂がついてまわるが、この句のように「鉄壁」が秋刀魚と取り合わせになったのは驚きである。おみごと! しかも「はや」である。「鉄壁」とはいえ、ここではどっしりとした腰太で、今や恐いものなしと相成った妻ではあるまい。いとしくもしおらしいはずの新妻も、たちまちしっかりした妻の座をわがものとしつつある。亭主のハッとした驚きが「はや鉄壁」にこめられている。良くも悪くも女の変わり身の早さ。秋刀魚を焼く妻の姿によって、そのことにハタと気づかされて驚くと同時に、「座」についたことにホッとしている亭主。秋刀魚の焼き具合はまだ今一でも、さぞおいしいことだろう。若さのある気持ちいい句である。さて、「鉄壁」という“守り”がゆるぎない「鉄壁」の“攻撃”に変容するのは、もう少し先のこと? 平井照敏編『新歳時記』(1996・河出書房新社)所載。(八木忠栄)


September 1992006

 遠ければ瞬きに似て渡り鳥

                           平石和美

やつくつく法師の声がすっかり聞こえなくなり、虫の声もまばらになる頃、しばらくすると海の向こうから鳥たちがやってくる。渡り鳥とは海を渡る鳥を総称するが、俳句ではこの時期の大陸から日本に向かう鳥を「鳥渡る」、春に大陸へ戻る鳥を「鳥帰る」と区別している。はるかかなたから群れをなし羽ばたく鳥の姿は、まさに「瞬き」であろう。さまざまな種類の鳥たちが、羽を揃え、かの地からこの地へ毎年あやまたず渡ってくる。空の片隅に現れる芥子粒ほどの鳥たちは、瞬きのあやうさを持ちながら、しかし瞬くたびに力強く大きく迫ってくる無数の矢印である。イソップ寓話のなかに「詩歌の女神ムーサが歌うと、当時の人間の一部は楽しさに恍惚となるあまり、飲食を忘れて歌い続け、知らぬ間に死んでいった。死んでいった連中は蝉となった。蝉たちは今でも、生まれても食物を必要とせず、飲まず食わずに直ちに歌い始めて死に至る」という話がある。一定の土地に安住することができない渡り鳥たちにも、どこか通じるような気がしてならない。瞬きに似る鳥たちを手招く作者の胸に、かつて翼を持っていた頃の記憶が灯っているのかもしれない。『桜炭』(2004)所収。(土肥あき子)




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