安倍内閣スタート。閣僚にはゴマすり人間が目立つ。戦後最も右寄り路線になるぞ(哲。




2006ソスN9ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2792006

 十五から酒を呑出てけふの月

                           宝井其角

蕉は弟子の其角の才能を認め、高く評価していた。作風は芭蕉とは対照的で都会風で洒脱である。吉原を題材にした落語のなかでよく引用される句に、其角の「闇の夜は吉原ばかり月夜哉」がある。当時の色里の栄耀がしのばれるばかりでなく、若年からの其角の蕩児ぶりが「十五から酒・・・」とともにしのばれる。落語と言えば、古今亭志ん生は「十三、四でもう酒ェくらっていた」(『びんぼう自慢』)と語っている。酒屋がそんな年頃の子にも酒を売っていた、まあ、よき明治のご時世。ましてや江戸の其角の時代である。其角ならずとも呑んべえなら誰しも、しみじみ月を見あげながら、あるいは運ばれてくる酒に目を細めながら、ふとわれを振り返ることもあるだろう。「誰に頼まれたわけでもないのに、よくぞ、まあ、このトシまで・・・・」。「けふの月」ときれいにシャレて止めているが、おそらく月は常とはちがったニュアンスの澄みようで見えていたにちがいない。ちょっと淋しげに見えていたかもしれない。しかし、其角は酒豪だったというだけに、くよくよと湿ってはいない酒であり、月であり、句である。この月は、十五のトシから呑みつづけてきた酒を照らし出しているようにも思われる。私などはいずれ、墓には水ではなく酒をたっぷりかけてほしい、と今から家人に頼んでいる始末。其角は四十七歳で没したが、掲出句は三十六歳のときに可吟が編んだ『浮世の北』(1696)に収録された。(八木忠栄)


September 2692006

 畳から秋の草へと続く家

                           鴇田智哉

本家屋には地続きの楽しさがある。お寺の離れに仮住まいしていた友人が、ある朝寝返りを打った拍子に頭に当たるものがあり、万年床をめくるとタケノコが生えていたという良寛さんのような話しも、畳と縁の下があればこそだ。家という器に、土や外気が接触している関係はまったく当然のことながら、掲句になつかしさを感じるのは現在の生活が、密閉され、孤立することを最優先に求めているからだろう。都心の建物は高層化の一途をたどり、いまや地上47階などという鳥の背中を見て暮らすようなマンションさえある。便利に慣れた身体には、高層で暮らす不安より、隣近所や通行人に覗きこまれ、解放される恐怖がまさるのかもしれない。現在間借りしているわが家は、タケノコこそ生えてこないが、築50年という年代ものの木造家屋である。台風で木戸が飛んでしまったり、瓦がずれて雨漏りしたりと、ときに小さな驚きもまじえながら、地続きの暮らしを楽しんでいる。ふと、部屋に敷かれた畳の生い立ちも草であることに気づいた。畳、大黒柱、障子、庭。どれも呼吸するひと続きの仲間となって手を取り合い、そこに暮らす人間をやさしく包んでくれている。『こゑふたつ』(2005)所収。(土肥あき子)


September 2592006

 山彦に遡るなり秋の魚

                           秋山 夢

識的に解釈すれば、「秋の魚」とは「鮭」のことだろう。この季節、鮭は産卵するために群れをなして故郷の川を遡ってくる。テレビの映像でしか見たことはないが、その様子はなかなかに壮観だ。「月明の水盛りあげて鮭のぼる」(渡部柳春)という句もあるので、昼夜を問わずひたすらにのぼってくるものらしい。本能的な行動とはいえ、全力を傾け生命を賭して遡る姿には胸を打たれる。この句、「山彦に」の「に」が実によく効いている。このとき山彦とは、べつに人間が発した声のそれでなくともよい。山のなかで育ったのでよくわかるのだが、山にはいつも何かの音が木霊している。しーんと静まり返っているようなときにも、実はいつも音がしているものだ。その木霊は、山が深くなればなるほどに鮮明になる。すなわち揚句の「秋の魚」は、山奥へ上流へと、さながら山彦「に」導かれ、引っ張られるようにのぼっているというわけだ。大気も川の水も、奥へ遡るほど清冽さを増してゆく。この句全体から立ちのぼってくるのは、こしゃくな人知を越えた自然界がおのずと発する山彦のごとき秋気であろう。『水茎』(2006)所収。(清水哲男)




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