対米謀略放送の「東京ローズ」死去。90歳。彼女も歴史に玩ばれた被害者である。(哲




2006ソスN9ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2892006

 秋茄子を二つ食べたるからだかな

                           栗林千津

さが身上の紫紺の秋茄子をいただいたからだがどうだと言うのか。内容だけみるとただごとに近いが、「からだかな」と置かれた強い切れは、食べたからだと食べられた秋茄子のその後を想像させる。何回か読み下してみると、ア音の多い明るい響きときっぱりした断定が消えた二つの秋茄子の輪郭をかえって鮮明に浮かび上がらせるようだ。「(動植物)を写生して親しむのではなく、対象に同化し、ときにそれらに変身してしまう」坪内稔典は句集の解説で千津の俳句について述べている。掲句の場合だと千津のからだが食べたはずの二つの秋茄子になって揺れ出すのかもしれない。彼女にとっての秋茄子は自分のからだと等量の存在なのだろう。同じ作者の句に「地続きに火噴く山ありひきがえる」「極寒期うまの合ひたる鮫とウクレレ」などがある。動植物を人になぞらえたり、対象に距離を置いて描写するのではない。秋茄子や、ひきがえると同じ次元に身を置いて、彼らと親しみ、入れ替わる通路を千津は見出したにちがいない。50歳半ばから俳句を始めた彼女は92歳で没するまで動植物との交流を中心に、日常の時空間から少しずれた俳句を作り続けた。『栗林千津句集』(1992)所収。(三宅やよい)


September 2792006

 十五から酒を呑出てけふの月

                           宝井其角

蕉は弟子の其角の才能を認め、高く評価していた。作風は芭蕉とは対照的で都会風で洒脱である。吉原を題材にした落語のなかでよく引用される句に、其角の「闇の夜は吉原ばかり月夜哉」がある。当時の色里の栄耀がしのばれるばかりでなく、若年からの其角の蕩児ぶりが「十五から酒・・・」とともにしのばれる。落語と言えば、古今亭志ん生は「十三、四でもう酒ェくらっていた」(『びんぼう自慢』)と語っている。酒屋がそんな年頃の子にも酒を売っていた、まあ、よき明治のご時世。ましてや江戸の其角の時代である。其角ならずとも呑んべえなら誰しも、しみじみ月を見あげながら、あるいは運ばれてくる酒に目を細めながら、ふとわれを振り返ることもあるだろう。「誰に頼まれたわけでもないのに、よくぞ、まあ、このトシまで・・・・」。「けふの月」ときれいにシャレて止めているが、おそらく月は常とはちがったニュアンスの澄みようで見えていたにちがいない。ちょっと淋しげに見えていたかもしれない。しかし、其角は酒豪だったというだけに、くよくよと湿ってはいない酒であり、月であり、句である。この月は、十五のトシから呑みつづけてきた酒を照らし出しているようにも思われる。私などはいずれ、墓には水ではなく酒をたっぷりかけてほしい、と今から家人に頼んでいる始末。其角は四十七歳で没したが、掲出句は三十六歳のときに可吟が編んだ『浮世の北』(1696)に収録された。(八木忠栄)


September 2692006

 畳から秋の草へと続く家

                           鴇田智哉

本家屋には地続きの楽しさがある。お寺の離れに仮住まいしていた友人が、ある朝寝返りを打った拍子に頭に当たるものがあり、万年床をめくるとタケノコが生えていたという良寛さんのような話しも、畳と縁の下があればこそだ。家という器に、土や外気が接触している関係はまったく当然のことながら、掲句になつかしさを感じるのは現在の生活が、密閉され、孤立することを最優先に求めているからだろう。都心の建物は高層化の一途をたどり、いまや地上47階などという鳥の背中を見て暮らすようなマンションさえある。便利に慣れた身体には、高層で暮らす不安より、隣近所や通行人に覗きこまれ、解放される恐怖がまさるのかもしれない。現在間借りしているわが家は、タケノコこそ生えてこないが、築50年という年代ものの木造家屋である。台風で木戸が飛んでしまったり、瓦がずれて雨漏りしたりと、ときに小さな驚きもまじえながら、地続きの暮らしを楽しんでいる。ふと、部屋に敷かれた畳の生い立ちも草であることに気づいた。畳、大黒柱、障子、庭。どれも呼吸するひと続きの仲間となって手を取り合い、そこに暮らす人間をやさしく包んでくれている。『こゑふたつ』(2005)所収。(土肥あき子)




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