また龍の尻尾が離れてしまった。昨日の虎は金縛り。一縷の望みを今日にかけよう。(哲




2006ソスN10ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 01102006

 はなれゆく人をつつめり秋の暮

                           山上樹実雄

17文字という小さな世界ですから、一文字が変わるだけで、まるで違った姿を見せます。はじめ私はこの句を、「はなれゆく人をみつめり秋の暮」と、読み違えました。もしそのような句ならば、自分から去ってゆく人を、未練にも目で追ってゆくせつない恋の句になります。しかし、一文字を差し替えただけで、句は、その様を一変します。掲句、人をつつんでゆくのは秋の暮です。徐々に暗さを増し、ものみなすべての輪郭をあやふやにし、去る人を暗闇に溶け込ませてしまいます。去ってゆく後姿に、徐々にその暗闇は及び、四方から優しい手が伸びてきて、やわらかい布地でからだをつつんでゆくようです。「つつめり」というあたたかな動作を示す動詞が、句に、言い知れぬ穏やかさをもたらしています。あるいは、つつんでゆくのは、秋の暮ではなく、見送るひとのまなざしなのかもしれません。去るひとの行末に危険が及ばないようにという、その思いが後方から、祈りのようにかぶさってゆきます。どのような軽い別れも、確かな再会を保証するものではありません。「じゃあ」といって去ってゆく人の後ろ姿に、いつまでも目が放せないのは、当然のことなのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 3092006

 赤とんぼ洗濯物の空がある

                           岡田順子

蛉には澄んだ空が似合う。糸蜻蛉、蜻蛉生る、などは夏季だが、赤蜻蛉も含めて、ただ蜻蛉といえば秋の季題となっている。ベランダで洗濯物を干していると、赤とんぼがつつととんでいる。東京では、流れるように群れ飛ぶことはあまり無い、ほんの数匹。空は晴れ上がり、風が気持よく、あら、赤とんぼ、と句ができる。「洗濯物の空がある」は、赤とんぼから生まれてこその、力の抜けた実感であり、白い洗濯物、青い空、赤とんぼが、ひとつの風景となって鮮やかに見える。爽やかな印象だが、爽やかや、では、洗濯物はただぶら下がっているばかりだろう。句には一文が添えられており、故郷鳥取で続けてきた句会の様子が語られている。農家の人達が、忙しい農事の合間に、公民館で月一回行っていた句会は、作者が東京に移り住んだ今も続いているという。歳時記の原点は農暦(のうごよみ)であり、俳句は鉛筆一本紙一枚あればだれでもいつでもどこでもできる。「その野良着のポケットに忍ばせた紙と鉛筆が生き甲斐の証であり、生み出す一句一句には土に生きる人達の喜怒哀楽があった」。作ることが生き甲斐であり喜びである。郷愁を誘う赤とんぼ、洗濯物は今の都会の日常生活、そしてこの空は遠いふるさとにつながっている、のかもしれないけれど、作者と一緒にただ秋晴の空を仰ぎたい。同人誌『YUKI』(2006年秋号)所載。(今井肖子)


September 2992006

 月夜の葦が折れとる

                           尾崎放哉

取市立川町一丁目八十三番地に、僕は五歳から十二歳まで七年間住んだ。狭い露地に並んだ長屋の一角が僕の家。その露地を東に五十メートル進んで突き当たると右手、八十番地に放哉の生家があり、そこに「咳をしても一人」の句碑が立っていた。途中に古い醤油の醸造元があり、土壁の大きな醤油蔵があった。いつも露地には醤油の匂いが漂っていた。放哉もこの醤油の匂いを嗅いで育ち、ここから鳥取一中(現鳥取西高)に通った。我が家はその後米子に移り僕は米子の高校に通うことになったが、そこの図書館にも放哉関係の本はあり、すでに俳句を始めていた僕はその奇妙な俳句に驚いた記憶がある。放哉は、当時は地元の一奇人俳人にすぎなかった。自由律俳句は河東碧梧桐、中塚一碧楼、荻原井泉水らが積極的に実践。季語、定型にとらわれない自由な詩型をとることを標榜した。そのため自由律俳句の傾向は当初それぞれの俳人の個性や価値観によって多彩な文体を示したが、放哉以降の自由律俳句は、たとえば山頭火も、放哉の文体と情趣を模倣したかに見える。異論はあろうが。「折れとる」は鳥取方言。「折れとるがな」「折れとるで」などと用いる。破滅、流浪の身として、パスカルの「人間は考える葦である」に照らしての、「折れた」自己に向けるシニカルな目もあったか。『大空』(1926)所収。(今井 聖)




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