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October 01102006

 はなれゆく人をつつめり秋の暮

                           山上樹実雄

17文字という小さな世界ですから、一文字が変わるだけで、まるで違った姿を見せます。はじめ私はこの句を、「はなれゆく人をみつめり秋の暮」と、読み違えました。もしそのような句ならば、自分から去ってゆく人を、未練にも目で追ってゆくせつない恋の句になります。しかし、一文字を差し替えただけで、句は、その様を一変します。掲句、人をつつんでゆくのは秋の暮です。徐々に暗さを増し、ものみなすべての輪郭をあやふやにし、去る人を暗闇に溶け込ませてしまいます。去ってゆく後姿に、徐々にその暗闇は及び、四方から優しい手が伸びてきて、やわらかい布地でからだをつつんでゆくようです。「つつめり」というあたたかな動作を示す動詞が、句に、言い知れぬ穏やかさをもたらしています。あるいは、つつんでゆくのは、秋の暮ではなく、見送るひとのまなざしなのかもしれません。去るひとの行末に危険が及ばないようにという、その思いが後方から、祈りのようにかぶさってゆきます。どのような軽い別れも、確かな再会を保証するものではありません。「じゃあ」といって去ってゆく人の後ろ姿に、いつまでも目が放せないのは、当然のことなのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 17102008

 ときに犬さびしきかほを秋彼岸

                           山上樹実雄

世というものがあったのなら、僕は犬だったような気がする。初めて出遭った犬も僕には妙に親近感を示す。「不思議よねぇ。この犬、他人にはだめなんだけど」なんて言われるとこちらも尻尾をふりたくなる。昔から犬顔だと言われ、犬という渾名をつけられたこともある。僕はどんな犬だったのだろうか。目をつぶって念じて観ると、白粉花なんかが路傍に咲いている坂のある街が見えてきた。何種もの血が混じってなんとも愛嬌のある風貌をした僕は、毎日そんな坂を上り下りしたのだった。散歩の帰りに坂の上から見る茜雲のきれいだったこと。写生という方法は、瞬間のカットの中に永遠を封印する。秋の日向の道にしゃがんで犬の背や頭を撫でているときに、犬はふっと人間のような表情を見せる。犬の前世は人間だったのかも知れぬ。人間から犬へ、犬から人間へ。輪廻の永遠の時間の中の瞬間が今だ。秋彼岸とはそのことへの意識。『晩翠』(2008)所収。(今井 聖)




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