中日は今日から8連戦。延期の阪神戦は12日が濃厚。阪神、それまで生きてろよ。(哲




2006ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102006

 名月や江戸にいくつの潮見坂 

                           吉岡桂六

伏の多い東京には神楽坂、九段坂、道玄坂、と坂の付いた地名が今も多く残る。これらの地名はそれぞれ生活に密着したものだが、富士見坂、江戸見坂、潮見坂などはそこから何が見えるかという眺望によって名付けられた。永井荷風の『日和下駄』に「当代の碩学森鴎外先生の居邸はこの道のほとり、団子坂の頂に出ようとする処にある。二階の欄干に佇むと市中の屋根を越して遥かに海が見えるとやら、然るが故に先生はこの楼を観潮楼と名付けられたのだと私は聞伝えている。(団子坂をば汐見坂という由後に人より聞きたり。)」という一節がある通り、そこから見えるものがそこに暮らす者の誇りであった。富士山を見上げ、海原を眺めて日々を暮らしていた頃には、旅人もまた道中垣間見える海を眺めて心を休めていた。はるかに浮かぶ真帆白帆。現在でも山や月を見上げることはできるが、海を望む場所はもはや高層ビルの展望台に立たない限り無理だろう。しかし潮見坂の文字を思う都度、人が海を恋い慕う気持ちが付けた名なのだとあたたかく思い起こす。十五夜まであと3日。だんだん丸くなってゆく月に、各所の潮見坂から海を眺めた人々の姿を重ねる。『東歌』(2005)所収。(土肥あき子)


October 02102006

 芋煮会遊び下手なる膝ばかり

                           山尾玉藻

語は「芋煮会」で秋。俳句で「芋」といえば「里芋」のことだ。名月のお供えも里芋である。句集ではこの句の前に「遊ばむと芋と大鍋提げ来る」とあるから、予定なしに急遽はじまった芋煮会なのだろう。それも小人数だ。一瞬、その場に楽しげな雰囲気が漂った。が、いざ大鍋を囲んでみると、なんだかみんな神妙な顔つきになってしまった。こういうときにはワイワイやるのがいちばんで、誰もが頭ではわかっているはずなのだが、いまひとつ盛り上がらない。冗談一つ出るわけでもなく、みんな鍋の中ばかりを見ている。むろん作者もその一人で、ああなんてみんな「遊び下手」なんだろうと、じれったい思いはするのだが、自分からその雰囲気をやわらげる手だては持っていない。自分への歯がゆさも含めて見回すと、揃ってみんなの「膝」が固く見えたというのである。こういうときに、人は人の顔を真っすぐ見たりはしない。俯くというほどではないけれど、なんとなく視線は下に向きがちになる。ささやかな遊びの場に、そんな人情の機微をとらえ、みんなの「膝」にそれとなく物を言わせたところに、揚句の手柄がある。私も遊び下手を自覚しているから、こんな思いは何度もしてきた。その場に一人でも盛り上げ役がいないと、どうにもならないのだ。友人には遊び上手なのが何人かいて、会っていると、いつも羨ましさが先に立つ。どうしたらあんなに楽しめるのだろうかと、つくづく我が性(さが)が恨めしく思われる。『かはほり』(2006)所収。(清水哲男)


October 01102006

 はなれゆく人をつつめり秋の暮

                           山上樹実雄

17文字という小さな世界ですから、一文字が変わるだけで、まるで違った姿を見せます。はじめ私はこの句を、「はなれゆく人をみつめり秋の暮」と、読み違えました。もしそのような句ならば、自分から去ってゆく人を、未練にも目で追ってゆくせつない恋の句になります。しかし、一文字を差し替えただけで、句は、その様を一変します。掲句、人をつつんでゆくのは秋の暮です。徐々に暗さを増し、ものみなすべての輪郭をあやふやにし、去る人を暗闇に溶け込ませてしまいます。去ってゆく後姿に、徐々にその暗闇は及び、四方から優しい手が伸びてきて、やわらかい布地でからだをつつんでゆくようです。「つつめり」というあたたかな動作を示す動詞が、句に、言い知れぬ穏やかさをもたらしています。あるいは、つつんでゆくのは、秋の暮ではなく、見送るひとのまなざしなのかもしれません。去るひとの行末に危険が及ばないようにという、その思いが後方から、祈りのようにかぶさってゆきます。どのような軽い別れも、確かな再会を保証するものではありません。「じゃあ」といって去ってゆく人の後ろ姿に、いつまでも目が放せないのは、当然のことなのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます