阪神も負けないけれど中日も負けない。ということは‥‥。目覚めるのが遅すぎたか。(哲




2006ソスN10ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 05102006

 運動会の地面をむしろ多く見る

                           阿部青鞋

の頃は一学期のうちに終えてしまう学校も多いようだが、運動会といえば九月末から十月にかけて行われるのが相場。朝早くから学校に出向いて観客席を確保した経験を持つ人も多いのではないか。茣蓙やビニールシートをコーナーぎりぎりに広げたので、駆けて来る子が勢いあまって観客席に飛び込むハプニングもあった。地べたに座り込んで競技を追う目線を思うと「地面をむしろ多く見る」という捉え方はもっともで、そう言われて初めて土を蹴立てて走ってくる日焼けした脚や、スタートラインに並ぶ運動靴、競技と競技の合間のがらんとしたグラウンドなどが、現実味を帯びた記憶として甦ってくる。運動会を詠むのに運動会の高揚した気分や競技ではなく冷たい地面に着目する。「むしろ」という比較表現でその上に展開している情景を暗黙のうちに立ち上がらせる手腕。青鞋(せいあい)の句は固定観念にとらわれた見方をすっとずらし、在るがままの風景を見せてくれる。「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」「ゆびずもう親ゆびらしくたゝかえり」『俳句の魅力』(1995)所載。(三宅やよい)


October 04102006

 木曽節もいとどのひげの顫へかな

                           中村真一郎

曽節は木曽谷一帯でうたわれる盆踊唄だが、♪木曽のナァー中乗りさん、木曽の御岳さんはナンジャラホイ・・・・有名な歌詞で全国で知られている。「いとど」は竈馬(かまどうま)のことで秋の季語。「かまどむし」「おかまこおろぎ」とも呼ばれる。「竈」なんて、今や若い人はもちろん中年だって知らないだろう。ご飯を炊いたカマドのことです。落語に登場する「へっつい」がこれ。「へっつい幽霊」「へっつい泥棒」の「へっつい」なんて見たこともない若い噺家が高座で、笑いをとっているのも妙。よく間違われる「こおろぎ」とは別種であって、脚は長いが、翅もないし、鳴かない。あまり冴えない虫である。かつて私の生家の竈のかげの暗がりや納屋の湿ったすみっこから、ヒョンヒョンという感じで何匹もとび出してきて、びっくりした経験がある。もちろん、生家でもとっくに竈の姿なんぞどこへやら。真一郎は師の堀辰雄が亡くなった初盆にこの句を信州で詠んだらしい。おそらく追分の油屋旅館にいて師を偲んでいたのだろう。旅館内かどこかで誰かがうたう木曽節が、聴くともなく聴こえてきたけれども、秋の宿はうら寂しい。木曽節は谷間に反響する寂しい唄だ。そんなところへ、どこからともなく侘しげないとどがヒョンヒョンとやってくる。こまかく顫えるひげのうら寂しさに着目した。木曽節もいとどももの悲しく、心細いばかりの師亡き信州の寒々とした秋の夜である。真一郎には『俳句のたのしみ』という一冊もある。私家版『樹上豚句抄』(1993)所収。(八木忠栄)


October 03102006

 名月や江戸にいくつの潮見坂 

                           吉岡桂六

伏の多い東京には神楽坂、九段坂、道玄坂、と坂の付いた地名が今も多く残る。これらの地名はそれぞれ生活に密着したものだが、富士見坂、江戸見坂、潮見坂などはそこから何が見えるかという眺望によって名付けられた。永井荷風の『日和下駄』に「当代の碩学森鴎外先生の居邸はこの道のほとり、団子坂の頂に出ようとする処にある。二階の欄干に佇むと市中の屋根を越して遥かに海が見えるとやら、然るが故に先生はこの楼を観潮楼と名付けられたのだと私は聞伝えている。(団子坂をば汐見坂という由後に人より聞きたり。)」という一節がある通り、そこから見えるものがそこに暮らす者の誇りであった。富士山を見上げ、海原を眺めて日々を暮らしていた頃には、旅人もまた道中垣間見える海を眺めて心を休めていた。はるかに浮かぶ真帆白帆。現在でも山や月を見上げることはできるが、海を望む場所はもはや高層ビルの展望台に立たない限り無理だろう。しかし潮見坂の文字を思う都度、人が海を恋い慕う気持ちが付けた名なのだとあたたかく思い起こす。十五夜まであと3日。だんだん丸くなってゆく月に、各所の潮見坂から海を眺めた人々の姿を重ねる。『東歌』(2005)所収。(土肥あき子)




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