中日の川相が現役引退と球団発表。42歳。「ここぞのバント」は、もう見られない。(哲




2006ソスN10ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 15102006

 秋の夜ことりと置きしルームキー

                           高山きく代

ームキーという言葉は、自宅よりもホテルを思い起こさせます。生活スタイルにもよるでしょうが、わたしの場合、自宅の鍵をわざわざルームキーなどと英語で言うことはありません。しかし、この句はどうも、ホテルの部屋という印象がもてません。ホテルの、透明で大きな棒のついている鍵では、置いたときの音は、「ことり」ではすむはずもありません。この鍵はやはり、自宅用の、なんの飾りもついていないもののように思われます。秋の夜、遅くなって、一人住まいの部屋に帰ってきたのでしょうか。冷え始めた季節の空気とともに、この部屋の主は帰宅し、まずは鍵を台所のテーブルに置くのです。それまでだれもいなかった部屋に、久しぶりに人のたてる音がします。「ことり」という音は、響きは小さくとも、音として明確にその意味を主張しています。その日、どんな出来事に翻弄されようとも、鍵をあけ、部屋に入ってからは、その人だけの別の時間が流れ始めます。扉によって外部を締め出してから、その人にとっての確かな「時」がはじまるのです。「ことり」という音は、そのはじまりの、ささやかな宣言のようにも聞こえます。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 14102006

 林檎掌にとはにほろびぬものを信ず

                           國弘賢治

弘賢治の名前は、〈みつ豆はジャズのごとくに美しき〉の句の透明感と共に記憶の隅に。最近、彼が八歳の時に脊髄カリエスを発病し、四十七年間の生涯を病と共に過ごしたと知ったが、みつ豆の句の印象は明るい。『賢治句集』を開くと、下駄の裏を大きく見せてぶらんこを漕ぐ写真に〈佝僂(くる)の背に翅生えてをりぶらんここぐ〉の一句が添えられている。うれしそうな笑顔である。みつ豆の句は、句作を始めて間もない昭和二十四年、三十七歳の作。〈繪をかいてゐる子の虹の匂ひかな〉〈雪の日のポストが好きや見てをりぬ〉自由でやわらかい句が続く。宗教を頼んでいた時よりも俳句を始めてからの方が、解放された安らかさを得ている、という意の一文を残しているというが、身ほとりを詠み病を詠んだ句からは、作意や暗さはもちろん、健気さや、達観の匂いさえしない。昭和二十二年から亡くなる昭和三十四年まで、虚子選三百九十一句を収めたこの遺句集の、三百九十句目が掲句である。とは、は永遠(とわ)。林檎は紅玉、小ぶりでつややかな紅色と甘酸っぱさが、当時は最も親しい果物のひとつであったろう。その結実した生命を掌に包んだ時、滅びようとする肉体の中から、自らをも含む全ての生に対する慈しみがあふれ、それが一筋の静かな涙と共に一句をなした気がしてならない。病と共にある人生を、自然に、淡々と詠んだ数々の句の中に、國弘賢治は確かに生き続けている。『賢治句集』(1991)所収。(今井肖子)


October 13102006

 ちちろほそる夜や屋根赤い貯金箱

                           和知喜八

ういう句を読むと、俳句の定型と季題がもたらす効用と限界を考えないわけにはいかない。この句、「蟋蟀や」とか、「ちちろ鳴く」くらいでまとめれば、造作もなく定型に収まる。「ちちろほそる夜や」の意図は何なのだろうか。蟋蟀は昼も鳴くから、「夜」の設定についての意図はわかる。ここは冗漫とは言えない。定型遵守派と意見が分かれるのは「ほそる」だろう。定型の効用と季題の本意中心の句作りを唱えるひとは、「ほそる」は、「ちちろ鳴く」の本意に含まれると言うかもしれない。「ほそる」は言わずもがな、表現が冗漫だと。作者は「ほそる」で、どうしても蟋蟀をそのとき、そこで鳴かせたかった。季題としての「ちちろ鳴く」でなくて、自分がその時聴いた「本当」の蟋蟀の声を表現したかった。季題は、ときにナマのリアルを犠牲にして、そこにまつわる古い情趣を優先させるかに見える。作者はそれを拒否したのだ。定型からはみ出すことで敢て韻律に違和感を生じさせる。滑らかに運ばないごつごつした違和感はそのまま作者の「個」を浮き彫りにする。それもこれもただただ「リアル」への意図である。貯金箱は生活の中の希望の象徴。「屋根赤い」もまた「リアル」への志向。作者は加藤楸邨門。対象に喰いついたらどこまでも追いつめる姿勢を評価した師から「スッポン喜八」の異名を付けられた。『和知喜八句集』(1970)所収。(今井 聖)




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