こども郵便局、来春廃止に。学校の壁新聞で知ってましたが、寒村では無縁でした。(哲




2006ソスN10ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 18102006

 三井銀行の扉の秋風を衝いて出し

                           竹下しづの女

行員が詠んだ俳句はたくさんあるわけだろうが、名指しではっきりと銀行名を詠み込んだ大胆な俳句を、私は寡聞にして知らない。のっけから「三井銀行」とは、あっぱれ。いかにもしづの女(じょ)らしい。ちなみに同行は私盟会社として明治九年に創立されている。現・三井住友銀行。人は好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな事情を抱えて銀行に出入りするわけだが、「衝いて出し」ときの秋風はさわやかで心地良かったのか、あるいは耐えられないものだったのか。しづの女のよく知られている句「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」とか、他の句にある「…ぶつかり来」「…ピアノ弾け」などの強い表現に敢えてこだわって類推すると、憤然と、あるいは昂然と銀行の頑丈な扉を押し開けて外へ出て、秋風に立ち向かって行くような勢いが感じられてならない。いや「扉の秋風」ゆえ、ここでは扉そのものがもはや秋風なのであり、外なる秋風への入口そのものなのだろう。川名大は、しづの女について「姉御肌の人柄で、知性と意力と熱情の溢れた力強い母性の行動力が特色」とコメントしている。杉田久女を含めて、こういう女性も「ホトトギス」に所属していたのだ。川名大『現代俳句・上』(2001)所載。(八木忠栄)


October 17102006

 小鳥来るはじめて話すことばかり

                           明隅礼子

語「小鳥来る」は、秋に渡ってくる鳥のなかでも鶇(つぐみ)、鶸(ひわ)などの鳥に限定されて使われる。身体の小さな鳥たちが賑やかにさんざめく様子もさることながら、「コトリクル」の愛らしい響きには華やぎがあり、続く「はじめて話すことばかり」の調べにも明るいきらめきを感じる。並ぶ句に「胎の子の四方は闇なり虫の夜」とあることから、掲句もおそらくお腹の子へ語りかけているのだと推察する。というのも「話す」の文字を使ってはいても、どこか人の気配を感じさせない静謐さを漂わせているからだ。とかく秋という季節が持つ背景が、ひとりきりの空気を引き出すからだろうか。小鳥たちが頭を寄せ合う景色をゆるやかにまとい、静かにひとりごちている作者の姿がある。そこから見える風景や、自分のこと、家族のこと、そしてどんなにかあなたをみんなが待っていること。清らかな秋の光りに包まれ、それは歌うようにいつまでも続き、お腹の子が耳にするはじめての子守唄となっていることだろう。精神的な父親の自覚と違い、母親の自覚は常に肉体的なものだが、女性も出産と同時に瞬時に母親になるのではない。自分のなかにもうひとつの命のある不思議さを躊躇なく受け入れたときから、こうして胎児と濃密なふたりきりの時間をじゅうぶん過ごしつつ、母性は茂る葉のように育っていくのだろう。「はらはらと麒麟は青葉食べこぼし」「しやぼん玉はじめ遠くへ行くつもり」なども羨望の句。『星槎』(2006)所収。(土肥あき子)


October 16102006

 一斉に椅子引く音や秋燕

                           対中いずみ

語は「秋燕」、「燕帰る」の項に分類。すぐ近くに小学校があって、よく脇を通る。ときどき感じることだが、同じように運動場に子供が一人もいなくても、休日とそうでない日との学校の感じは全く違う。あれは、どうしてだろうか。休日の構内には誰もいないという知識があるからかとも思うが、どうもそうでもないようだ。むろんよく耳を澄ませば、登校日の学校からはいろいろな音が聞こえてくるはずだが、いつもそんなに意識して通っているわけじゃない。なんとなく通りかかっただけで、休日の学校には生気がないなと思われるのだ。たとえ見えなくても、そこに人がいるとなれば、なんらかの気が立ち上っているような感じを受けるもののようだ。そう仮定すると、そんな学校の気がいちばん高まるのは、やはり終業時だろう。朝からの勉強に抑圧された子供たちの気持ちが、一挙に開放される瞬間だ。揚句の一斉に椅子を引く音には、子供たちの嬉しい気持ちがこもっている。晴天好日の午後。校庭にはまもなく南に渡っていく燕らが飛び交い、もうすぐ勉強が終わった子供らがぞろぞろと出てくる時間。すなわち、学校の気が最も高まり充実するときを迎えたわけで、その限りにおいてはさながら祝祭のときのようである。だが、その気の高まりはわずかな時の間で、すぐに退いてしまうことを作者は知っている。子供らはそれぞれに散っていき、秋の燕はこれっきりもう姿を見せないかもしれない。最も充実した時空間は、常にこのような衰退の兆しを含んでいる。理屈をこねれば、そういう句だ。気の高まりのなか、一抹の寂しさを覚える人情の機微がよくとらえられている。『冬菫』(2006)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます