2006N112句(前日までの二句を含む)

November 02112006

 秋の暮通天閣に跨がれて

                           内田美紗

天閣は大阪新世界にそびえる高さ100メートルのタワー。東京タワーと同じ設計者で、作られた時期も同じ頃なのに、まったく違う外観を呈している。両方ともその都市のシンボルであるが、東京タワーは赤いドレスを着て澄まして立っていて少し近寄りがたいが、通天閣は派手な広告をお腹につけて色の変わる帽子をかぶり、庶民的で気さくな雰囲気がある。足元には将棋場、歌謡劇場もある。展望台でビリケンのとがった頭をなでてジャンジャン横丁の串カツを食べて帰る。何でもありの天王寺界隈の賑わいにどこかもの寂しい秋の夕暮れがせまってくる。古来「秋の暮」は秋の夕暮れの意と、秋の季節の終わり(暮の秋)の両義を含みながら曖昧に用いられてきたらしい。「今では秋の日暮れどきだけに使う」(『新歳時記』河出文庫)となっているが、どうだろう。掲句のように大きな景には夕暮れの景色とともに一つの季節が終りつつある気分をも重ね合わせてみたい。通天閣が跨(また)ぐと擬人化した表現に大阪の街並みを見下ろしている通天閣の大きさと頼もしさが的確に表現されている。さらに「て」の止めに、暮れはやき今、ここで通天閣に跨がれている作者の安心が感じられるように思う。『魚眼石』(2005)所収。(三宅やよい)


November 01112006

 酒となる間の手もちなき寒さ哉 

                           井上井月

月(せいげつ)は文政五年(1822)越後高田藩に生まれ、のち長岡藩で養子になった。三十代後半に信州伊那谷に入り、亡くなる明治二十年(1887)まで放浪漂泊の生涯を送った。酒が大好きだった。掲句は伊那で放浪中のもので、どこぞの家に厄介にでもなって酒を待つ間(ま)の手持ち無沙汰。招じあげられ、一人ぽつねんとして酒を静かに待っているのだろう。申しわけなさそうな様子ではあるが、主人との酒席をじいっと辛抱強く待っている、そんな図である。そのあたりにいる女子衆(おなごし)に愛想を振りまくわけでも、世辞を言ったりするわけでもあるまい。寒さに耐えて酒を待つ無愛想。伊那谷の冬の寒さが、読むほうにもことさら身にしみてくる。ついでに酒が待ち遠しくもなる。ある時、井月は「何云はん言の葉もなき寒さかな」の一句も短冊にしたためている。穏かなご隠居が「井月さん、来たか、来たか」と座敷にあげて酒をふるまうこともあったと、『井上井月伝説』(江宮隆之)にある。山頭火が心酔していたというが、さもありなん。室生犀星が高く評価した。傑出した句ではないが、左党には無視しがたい一句。芥川龍之介はこう詠んでいる、「井月ぢや酒もて参れ鮎の鮨」。落語「夢の酒」では、酒好きのご隠居が夢のなかで酒の燗がつくのを待っているうちに嫁に起こされてしまって、「冷やで飲めばよかった!」とサゲる。井月句はおよそ1680句と言われる。蝸牛俳句文庫『井上井月』(1992)所収。(八木忠栄)


October 31102006

 しつかりとおままごとにも冬支度

                           辻村麻乃

辞苑によると「ままごと」とは「飯事」と書き、子供が日常の生活全般を真似た遊びとある。ママの真似をするから「ままごと」なのかと思っていたが、遊びとしては江戸時代から貴族の子供は塗り物の道具、庶民の子供は木の葉や紙の道具、と昔から広く楽しまれていたようだ。ままごとで使うものは生活環境によってさまざまである。わたしは公園よりも、実家が持っていた印刷や製本の工場の裏で遊ぶことが多かった。インテル(活字の隙間に詰める薄い板)を使って雑草を刻み、古くなった文選箱(選んだ活字を入れる箱)に盛りつける。つぶれた活字をもらっては、椿の葉に刻印し「こういうものでございます」などと、大人たちに自慢気に配っていたことも思い出す。子供による日常生活の再現は、はたから見ていると驚くべき観察力であることがわかる。母親の口癖や、父親の態度など、はっと我が身を正す機会にもなったりもする。ほらコートを着ないと風邪をひきますよ、さぁおふとんを干しましょう。掲句のかわいらしいお母さんたちは一体どんな冬支度をしていたのだろう。「をかしくてをかしくて風船は無理」「足元に子を絡ませて髪洗ふ」などにも、体当たりで子育てをしている若い母親の姿が浮かぶ。『プールの底』(2006)所収。(土肥あき子)




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