2006N1111句(前日までの二句を含む)

November 11112006

 転びても花びらのごと七五三

                           今井千鶴子

歳の時私が着た七五三の着物は、母が七歳の時の着物を仕立て直したものだった。三歳違いの妹は、お姉ちゃんのお下がりはいやだ、と言い、祖母の綸子(りんず)の長襦袢を仕立て直した。妹のその着物の淡い水色と、髪をきゅっと結んで千歳飴を握りしめている顔が、遙かな記憶の彼方にくっきりとある。そして六年前、同じ水色の着物を着て、姪は七歳を祝った。着てはほどき、洗い張りしてまた仕立てる。優れた文化だとつくづく思う。この句の女の子の着物は赤だったという。二年前の十一月、作者は近所の世田谷八幡に一人散歩に。さほど大きくない神社だが、それでも土曜日とあって色とりどりの親子連れでにぎわっていた。と、目の前でひときわ目立ってかわいい赤い着物の女の子が、あっというまもなく転んでしまった。はっとしながらも、特に一句をなすこともなく数日が経つ。ある日、次の句会の兼題が「七五三」と気づき、「七五三、七五三」と考えながら歩いていたら、あの時の光景とともに「この句がはらりと天から降ってきた」ので「推敲はしていない」そうである。いわゆる「ごとく俳句」は避けましょう、が常識だが、この句は、転んで花びらに見えたのではなく、花のように愛らしい女の子は、転んでもなお花びらのようだったのである。寒冷の地では、七五三は十月に行うところも多いと聞くが、十五日をひかえた週末、あちこちの神社が賑わうことだろう。世田谷八幡に行ってみようか、句が降ってくる可能性は極めて低いけれど。『珊』(2005年冬号)所載。(今井肖子)


November 10112006

 冬ざれ自画像水族館の水鏡

                           鷹羽狩行

こかに映っている自分の顔を見出すことはよくある。電車やバスの窓に、川や池や沼の水面に。さらにそこに空や雲や雪や雨を重ねてドラマの一シーンを演出するのも、映像的な手法の一典型である。自画像というから、顔だけというよりもう少し広い範囲の自分の像であろう。水族館の水槽の大きなガラスに作者は自分の姿を見た。映っている自分の姿の中を縦横に泳ぐ魚たち。自分の姿に気づくのは自分を認識することの入口。作者はそこに「冬ざれ」の自分を見出しているのである。俳句に触発されて起こった二十世紀初頭のアメリカ詩の運動、イマジズムは、短い詩を多く作り、俳句の特性を取り込んで、「良い詩の三原則」というマニフェストを発表した。その中の二つが、「形容詞や副詞など修飾語を使用しないこと」「硬質なイメージをもちいること」。彼等が俳句から得た新鮮な特徴の原型がこの句にも実践されている。独自のリズムの文体の中に、かつんと響き合うように置かれた二つのイメージの衝突がある。『誕生』(1965)所収。(今井 聖)


November 09112006

 生き急ぐ馬のどのゆめも馬

                           摂津幸彦

調の無季句。「馬のどのゆめも馬」と、反復のリズムが前のめりに断ち切られ「生き急ぐ」不安そのものを表している。家畜としての馬が生活の周辺から消えた今、馬と言えば走る宿命を負わされた競走馬だろう。数年前の秋の天皇賞、稀代の逃げ馬と称されたサイレンススズカははるか後方に馬群を引き離す天馬のような走りを見せたものの4コーナー手前で減速、ついには立ち止まってしまった。前脚の骨が砕けたのだ。走るために改良されたサラブレットは骨折すると生きてはいけない。予後不良と診断されたサイレンススズカは翌日命を絶たれた。彼ばかりでなくどの競走馬も常に死の影を引きずっている。厳しい戦いを勝ち抜いても、引退後生き残れる馬は一握りにすぎない。「生き急ぐ」宿命を背負わされた馬は馬群にあれば先行馬に追いすがり、トップにたてばひたすら逃げ続けるしかない。「馬」と「馬」の字面に挟まれた厩舎でのつかの間の眠り。夢に放たれてもなお馬は馬と競い合っているのかもしれない。作者は直観的に掴み出した馬のイメージを俳句に投げ入れることで、その背後にある実像まで描いてみせた。この句に漂う哀愁は馬の哀しみでもある。摂津は四十九歳で急逝。今年は没後十年にあたる。『摂津幸彦全句集』(1997)所収。(三宅やよい)




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