2006N1120句(前日までの二句を含む)

November 20112006

 買ひました三割引の冬帽子

                           名護靖弘

者は1936年(昭和十一年)生まれだから、だいたい私と同世代だ。いまどきの若い人なら、こういう句は作らないだろう。いや、そもそも割引で何かを買うことへの逡巡、照れや恥ずかしさの感覚は皆無のはずだから、揚句の味がわかるかどうか。私くらいの世代までは、割引品といえば粗悪品のイメージと結びついている。どこかに傷や欠陥があるか、あるいは流行遅れかなど、なべて割引品は警戒の対象であり続けてきたからだ。そんな金銭感覚の持ち主が、こともあろうに目立つ帽子を割引で買ってしまったのである。細かく調べてみても、どこといって破れやほころびもないし、時代遅れのデザインでもない。だけれども、ひっかかるのだ。こうやって被っていても、自分が気がつかないだけで、もしかすると他人の目には欠陥が丸見えになっているのかもしれない。そう思うと、不安で仕方がなくなり、誰に聞かれたわけでもないのに、どうせ「三割引」の安物ですからと言い訳をしている。言い訳しつつ、公言しつつ、居直っているところがユーモラスでもある。軽い句ではあるが、世代特有の金銭感覚がよく表現されていて、微笑しつつもちょっと身につまされる句に読めた。借金を恥辱と心得たもっと上の世代のなかには、いまだにローンになじめず、即金で物を買う人も多い。そこに詐欺師がつけこんで、バッと売りつけてパッと逃げてしまう事例には事欠かない。金の使いようも、世に連れるのである。なお、作者の名字は「みょうご」と読む。『晩節』(2006)所収。(清水哲男)


November 19112006

 永遠の待合室や冬の雨

                           高野ムツオ

を待つ「待合室」かによって、この句の解釈は大きく変わります。すぐに思い浮かぶのは駅です。しかし、「永遠」という語の持つ重い響きから考えて、これはどうも駅の待合室ではないようです。もっと命に近い場所、あるいは、命を「永遠」のほうへ置くための場所、つまり斎場のことを言っているのではないかと思われます。この句はわたしに、過去のある日を思い出させます。どのような理由によってであれ、大切な人を突然失うことの意味を、わたしたちは俄かに理解することはできません。理解する暇もなく、次から次へ手続きは進み、気がつけば「待合室」という名の部屋に入らされ、めったに会うことのない親戚の中で、飲みたくもないお茶を飲んでいるのです。ひたすらに悲しみが押し寄せてくる一方で、よそ事のような感覚も、時折入り込んできます。切羽詰った悲しみと、冷えた無感情が、ない交ぜになって揺れ動いています。扉は開き、名が呼ばれ、事が終わったことが知らされ、靴を履き、向かうべき場所へ向かう途中で、明るすぎるほどの廊下へ案内されます。高い天井の下、呆然としてガラス張りの壁の向こうを見つめていました。その日も外にはしきりに、冷たい雨が降っていたと記憶しています。『生と死の歳時記』(法研・1999)所載。(松下育男)


November 18112006

 大仏の屋根を残して時雨けり

                           諸九尼

句を始めて新たに知ったことは多い。十三夜がいわゆる十五夜の二日前でなく、一月遅れの月であることなどが典型だが、さまざまな忌日、行事の他にも、囀(さえずり)と小鳥の違いなど挙げればきりがない。「時雨」もそのうちのひとつ、冷たくしとしと降る冬の雨だと漠然と思っていた。実際は、初冬にさっと降っては上がる雨のことをいい、春や晩秋の通り雨は「春時雨」「秋時雨」といって区別している。「すぐる」から「しぐれ」となったという説もあり、京都のような盆地の時雨が、いわゆる時雨らしい時雨なのだと聞く。本田あふひに〈しぐるゝや灯待たるゝ能舞臺〉という句があるが、「灯(あかり)待たるゝ」に、少し冷えながらもさほど降りこめられることはないとわかっている夕時雨の趣が感じられる。掲句の時雨はさらに明るい。東大寺の大仏殿と思われるのでやはり盆地、時雨の空を仰ぐと雲が真上だけ少し黒い雨雲、でも大仏殿の屋根はうすうすと光って、濡れているようには思えないなあ、と見るうち時雨は通り過ぎてしまう。さらりと詠まれていて、句だけ見ると、昨日の句会でまわってきた一句です、と言っても通りそうだが、作者の諸九尼(しょきゅうに)は一七一四年、福岡の庄屋の五女として生まれている。近隣に嫁ぐが、一七四三年、浮風という俳諧師を追って欠落、以来、京や難波で共に宗匠として俳諧に専念し、浮風の死後すぐ尼になったという、その時諸九、四十九歳。〈夕がほや一日の息ふつとつく〉〈一雫こぼして延びる木の芽かな〉〈けふの月目のおとろへを忘れけり〉〈鶏頭や老ても紅はうすからず〉繊細さと太さをあわせもつ句は今も腐らない。『諸九尼句集』(1786)所収。(今井肖子)




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