November 232006
きょうは顔も休みだ
岡田幸生
今日は勤労感謝の日。祝日法の規定によると「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」らしいが、能力主義のはびこる今の世の中、毎日喜びをもって働いている人がどのくらいいるだろう。家族のため、生きるため、気にそぐわない職を続けている人も多いのではなかろうか。仕事に身をすり減らす日常を離れて本来の自分に立ち返れるのが週末の休みや今日のような祝日だろう。1962年生まれの作者は「短い言葉で世界を穿つ」魅力に惹かれ、感覚とひらめきで作る自由律俳句を始めたという。句集に収められた作品は韻律も形も様々だが、掲句の場合、きょうは/(2・1)/顔も(2・1)/休みだ(2・2)と三節に分かれ、2音と1音の反復、最後は2音の連続のリズムに落ち着く形で内容が凝縮されている。「きょうは」という限定で普段は毎日出勤して緊張を強いられた生活を送っている様子が、「顔も」という表現で心身ともにのびのび開放して休みを楽しんでいる気分が伝わってくる。休日の電車で、通勤時に見かけるサラリーマンがセーターにジーパンのラフなスタイルで家族と並んで座っているのに出くわすことがある。スーツに身を固め会社に向う緊張した面持ちとは違う和やかな表情。きっと顔も休みなのだろう。四六時中、仕事に追われている人たちにとって今日が祝福の一日でありますように。『無伴奏』(1996)所収。(三宅やよい)
September 232010
満月のあめりかにゐる男の子
小林苑を
今日は満月。時差はあれ、世界中の人が同じ月を見るんだなぁ、そう思うと甘酸っぱい気持ちになる。考えれば太陽だって同じなのに、そんなふうに感じないのはなぜだろう。「空にいる月のふしぎをどうしよう」という岡田幸生の句の通り夜空にかかる月は神秘的な力を感じさせる。掲句「満月の」の「の」は「あめりか」にかかるのではなく、上五でいったん軽く切れると読んだ。自分が見上げている月をアメリカの男の子が見上げている様子を想像しているのだろう。例えばテキサスの荒野に、ニューヨークの摩天楼の窓辺にその子は佇んでいるのかもしれない。この句の作者は少女の心持ちになって、同じ月を見上げる男の子へ恋文を送る気分でまんまるいお月様を見上げている。「あめりか」の男の子にちょっと心ときめかせながら。カタカナで見慣れた国名のひらがな表記が現実とはちょっと違う童話の世界を思わせる。『点る』(2010)所収。(三宅やよい)
August 292013
ネクタイのとける音すずしい
岡田幸生
自由律俳句である。5・5・4の構成で俳句を聞きなれた耳には、その字足らずが句の内容と相まって風通し良く感じられる。季語の「新涼」は少し爽やかな風を感じたとき、「涼し」は暑さの中に見出す涼気であるが、この句の「すずしい」はあくまで固いネクタイの結び目をとく音に付随したものだから、季語の本意とかかわりはないだろう。クールビズのいきわたった今は通勤電車を見渡してみてもネクタイをしていない人の方が多いが、ちょっと前までほとんどサラリーマンは夏でも背広にネクタイの暑苦しい姿で出勤していた。そう考えると一日中締めていた襟元を緩めて絹のネクタイをほどく音が涼しげに聞こえるのはこの季節ならではと思える。帯を解く音、ネクタイをとく音、シルクのワンピースの裾をさばく音、そういえば絹には「すずしい」音があるなぁと句を読んで思った。『無伴奏』(1996)所収。(三宅やよい)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|