2006ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25112006

 大熊手使へぬ小判食へぬ鯛

                           柴原保佳

度聞いただけで覚えてしまう句というのがある。たいていリズムがよく、くっきりとしている。昨年の十一月知人が、昨日の句会で先生の特選だった句よ、と教えてくれたこの句、以来忘れられない。季題は熊手、十一月の酉の日に開かれる酉の市で売られる、開運、商売繁盛の縁起物である。今年の十一月十六日は二の酉、小春日がそのままゆるゆる暮れてしまったような宵の口に、浅草の鷲(おおとり)神社に出かけた。入り口には提灯がずらりと掲げられ、とにかく明るい。その光の中に一歩を踏み入れると、両側にぎっしりと熊手が売られている。店ごとに工夫が凝らされているが多くは、お福面を中心に、鶴亀、松竹梅、宝船、扇、注連縄、招き猫等々がこれ以上めでたくなれないとばかりに熊手の表を飾り、ひときわ輝く大判小判は、伍十両、百両とざくざくである。そして一番下に、真っ赤な鯛が向かい合ってはねている。この句の作者は、東京下町で創業百年の老舗の店主、幼い頃から熊手を見て育ったのだろう。この小判や鯛が本物だったら、それは誰もが思うはずである。しかし、いざ俳句に詠もうとすると、他の人が気づかないような発見や表現や情などを模索し、熊手の裏側をのぞいてみたりする。使へぬ小判食へぬ鯛、は、リズムがよいだけでなく、熊手に飾られた数々の福の中から、巧みに人間の欲望の象徴を抜き出してみせて小気味よい。人伝に聞いて覚えた句、出典を求めてホトトギス雑詠欄を探すと、四月号の二句欄に発見。並んで〈私も無料老人竹の春〉。「ホトトギス」(2006年4月号)所載。(今井肖子)


November 24112006

 寒夜しまい湯に湯気と口笛“太陽がいっぱい”

                           古沢太穂

穂さんは、或る党派の党員として、その党のいうところの「民主化」運動に生涯を費やしてきた俳人である。「民主化」とは何かという論議は置いておいて、太穂さんは、その目的のために俳句表現があるという順序は、たとえ思っていたとしても表現の上には見せなかった人だ。太穂作品には政治理念よりも抒情が優先されているかに見える。この句では「太陽がいっぱい」がそれ。ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の名作の主題歌が「しまい湯」の口笛に乗って聞こえてくる。太穂さんは2000年没。悼む会で同じ加藤楸邨門の友、金子兜太が読んだ弔辞が忘れられない。戦前、若い頃、句会の帰りに東京のはずれで、二人で飲んで電車が無くなった。兜太さんが、「宿を探そう」と言うと、太穂さんが、「俺にまかせておけ」と応えてどんどん歩いていく。どこに行くのかと思いながらついてゆくと、警察署に入った。そこには顔見知りの刑事がいて拘置所に泊めてもらったという顛末。筋金入りの闘士太穂さんらしいエピソードである。「寒雷」の句会の帰路、何度かご一緒したが、僕が、その党派の姿勢に対する疑問をぶつけて、太穂さんを憮然とさせてしまった思い出がある。自宅は横浜磯子の近く。酒豪の太穂さんを支えて腕を組んで歩き家までお送りしたこともある。酔っていても太穂さんは胸を張ってやや上の方に顎を突き出して歩いた。兜太さんと歩いた夜もそんなだったんだろうなと弔辞を聞いたあとで思った。『火雲(ひぐも)』(1982)所収。(今井 聖)


November 23112006

 きょうは顔も休みだ

                           岡田幸生

日は勤労感謝の日。祝日法の規定によると「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」らしいが、能力主義のはびこる今の世の中、毎日喜びをもって働いている人がどのくらいいるだろう。家族のため、生きるため、気にそぐわない職を続けている人も多いのではなかろうか。仕事に身をすり減らす日常を離れて本来の自分に立ち返れるのが週末の休みや今日のような祝日だろう。1962年生まれの作者は「短い言葉で世界を穿つ」魅力に惹かれ、感覚とひらめきで作る自由律俳句を始めたという。句集に収められた作品は韻律も形も様々だが、掲句の場合、きょうは/(2・1)/顔も(2・1)/休みだ(2・2)と三節に分かれ、2音と1音の反復、最後は2音の連続のリズムに落ち着く形で内容が凝縮されている。「きょうは」という限定で普段は毎日出勤して緊張を強いられた生活を送っている様子が、「顔も」という表現で心身ともにのびのび開放して休みを楽しんでいる気分が伝わってくる。休日の電車で、通勤時に見かけるサラリーマンがセーターにジーパンのラフなスタイルで家族と並んで座っているのに出くわすことがある。スーツに身を固め会社に向う緊張した面持ちとは違う和やかな表情。きっと顔も休みなのだろう。四六時中、仕事に追われている人たちにとって今日が祝福の一日でありますように。『無伴奏』(1996)所収。(三宅やよい)




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