2006ソスN11ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 28112006

 どれとなく彼方のものを鶴と指す

                           谷口智行

国大陸より渡ってくる鶴は「鶴来る」として秋の季題となり、丹頂鶴は北海道の湿原で留鳥として暮らす。しかし、単に「鶴」といえば冬の季題となる。言われてみれば、鶴ほど冷たい空気が似合う鳥もないだろう。その気高い姿を日本人は昔から愛してきた。それは吉兆の象徴となり、祝いごとの図案や装飾などに使われ、現在もっとも多く触れる機会としては、千円札の夏目漱石氏の裏側にある丹頂鶴「鶴の舞」だろうか。しかし、その象徴の偉大さは実物を大きく超えて存在する。掲句においても、鶴の姿がことさら眼前になくとも、指さし「鶴」と呟いた瞬間、その遥か彼方にあるものは鶴以外のなにものでもなくなる。その景色は指さすことで完結し、まるで鶴がいた風景に永遠に閉じ込められてしまったようである。句集名『藁嬶(わらかか)』は、藁屑にまみれて働く農家の主婦のことだそうで、「身じろぎもせざる藁嬶初神楽」から取られている。「ぶらんこに座つてゐるよ滑瓢(ぬらりひょん)」「縫へと言ふ猟犬の腹裂けたるを」「雪降るか歌よむやうに猿啼きて」など、作者の暮らす土地が匂うように立ち現れる。その風土のなかで「鶴とは、よそ者の目には決して見えない生きものなのですよ」と静かに言われれば、そうであったのか、と思わず納得してしまうような気になるのである。『藁嬶』(2004)所収。(土肥あき子)


November 27112006

 子の背信静かに痛む柚子のとげ

                           井本農一

語は「柚子(ゆず)」で秋に分類されているが、寒くなってからの黄金色に熟した玉は美しい。「背信」とはおだやかではないけれど、親の意向を聞き入れず、子が人生の大事を自分の考えだけで決めてしまったのだろう。進学や進路についてか、あるいは結婚問題あたりだろうか。その中身は知る由もないが、これまでは何でも親に相談し、何事につけ暴走するような子ではなかっただけに、今回のはじめての「背信」には打ちひしがれる思いである。怒りというよりも、どうしたのかという心配と哀しみの感情のほうが強いのだ。たとえれば、それは不覚にも刺されてしまった柚子のとげの傷みのように、思うまいとしても、何度でも静かな痛みを伴って胸を刺してくるのであった。このときに、実際に作者の手は柚子のとげで痛んでいたのでもあろう。子の背信。一般論としては、よくあることさとわかってはいても、それが自分との関わりにおいて起きてしまうと、話は別になる。その痛みはかくのごとくであると告げた揚句は、晩秋の小寒い雰囲気とあいまって、親としての情のありようをよく描出している。かれこれ半世紀前、私は父の望まぬ大学の望まぬ学部を受験すべく、勝手に願書を出してしまった。合格の通知を受けて父に報告すると、私の顔も見ずに、ただ一言「そうか」と言っただけだった。あれが、彼にははじめての「子の背信」だったのだろう。あのときにおそらく、父もまた静かな痛みを感じたにちがいないのである。青柳志解樹編『俳句の花・下』(1997)所載。(清水哲男)


November 26112006

 午後といふ不思議なときの白障子

                           鷹羽狩行

語は「障子」、冬です。けだるく、幻想的な雰囲気をもった句です。障子といえば、日本の家屋にはなくてはならない建具です。格子に組んだ木の枠に白紙を張ったものを、ついたてやふすまと区別して、「明り障子」と呼ぶこともあります。きれいな言葉です。わたしはマンション暮らしが長いので、障子とは無縁の生活を送っていますが、それでも子供の頃の障子のある生活を、よく思い出します。ただ、この句のように、まぼろしの世界にあるような美しい姿とは違って、たいていは破れて、穴だらけのみすぼらしいものでした。「明り障子」という名の通りに、光はその一部を外から取り込んできます。障子とはまさに、「区切る」ことと「受け入れる」ことを同時にこなすことのできる、すぐれた境目なのだと思います。生命が活動を始める朝日の鋭い光ではなく、ここでは午後の、柔らかな光が通過してゆきます。午後のいっとき、障子を背に、心も体も休めているのでしょうか。うつらうつらする背中越しに、外気の暖かさがゆっくりと伝わってきます。日が傾いてゆくその先には、この世界とは違った「不思議な」場所への通路がうがたれているようです。「午後」という時のおだやかさは、いつまでも、まんべんなくわたしたちに降りつのっています。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)




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