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December 05122006

 寒禽の落としてゆきしものの湯気

                           上野龍子

え込みも日に日に本格的となる今日この頃。寒禽とは、切るような冷たい冬の空を舞う鳥たちのことである。もちろん身体の大きな鷲や鷹なども含まれるが、掲句にはヒヨドリやムクドリなど、民家の庭先に訪れる身近な鳥の姿を思う。「落としてゆきしもの」とは、もちろん尾籠なるフンのことであるが、少しも汚らしさがないのは、そこに生きとし生けるものの体温がそのまま「湯気」としてあらわれているからであろう。また、落としてゆくもののなかに、運搬された新天地で芽吹きの時を待つ種子などが含まれることも考え、その湯気にはさまざまないのちのあたたかみが詰まっているようにも思う。厳しい自然のルールのなかの死は、穏やかな老衰とは無縁で、餓死か、天敵に捕われるかのどちらかだと聞く。また、野鳥は弱っていると見られたら最後、真っ先に狙われることもあり、死の直前まで決して弱々しい姿を見せない。このため、死は驚くほどに唐突に訪れるのだという。以前、目の前で枝から落ちた小鳥を助けようと手に乗せたが、みるみる羽ばたきは弱まり、黒いビーズのような瞳に薄い膜がかかり、あっという間に亡くなってしまった。なにひとつ手出しすることを拒むような死だった。冬を乗り越えることも大きな命の節目であろう。生きろ生きろ、と冬の鳥や獣たちに力いっぱいエールを送る。『中洲』(2006)所収。(土肥あき子)




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