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December 14122006

 雌の熊の皮やさしけれ雄とあれば

                           山口誓子

の頃は山に食べ物がないせいか里に降りてきた熊が人と出くわす事件がよく起きている。冬のあいだ雄熊はおおかた眠っているが、雌熊は冬ごもる間に子を産み育てるらしい。驚かさないかぎり人を襲うことは稀なようだが、穴に入る前の飢えた熊は要注意と聞く。この句の前書きに「啼魚庵」とある。浅井啼魚は妻波津女の父。大阪の実業家で、ホトトギス同人でもあった。その家に敷き延べられている二枚の熊の毛皮。それだけで見れば恐ろしげな雌(め)の熊の皮ではあるが、並べ置かれた雄(お)の皮よりひとまわり小ぶりで黒々とした剛毛すら柔らかく思える。雌雄一対にあってそれぞれの属性が際立つ。そう見れば毛皮にされてなお雄に寄り添うかのような雌の様子が可憐で哀れである。雌熊の皮を「やさしけれ」と表現する誓子の眼差しにしみるような情感が感じられる。義父宅を前書きに置いたのは、雌雄の熊の皮に新婚の妻と自分の姿を重ね合わせているからだろう。家庭的に不幸な幼少期を過ごした誓子が妻に抱くなみなみならぬ愛情が伝わってくる。即物非情・知的構成と冷ややかさが強調されがちな誓子ではあるが、その底にこのような叙情が湛えられていたからこそ、多くの俳人の心を惹きつけたのだと思う。『凍港』(1932)所収。(三宅やよい)


December 13122006

 滾々と水湧き出でぬ海鼠切る

                           内田百鬼園

鼠(なまこ)から滾々(こんこん)と水が湧き出る――というとらえ方はあっぱれと舌を巻くしかない。晩酌をおいしくいただくために、午後からは甘いものをはじめ余分なものは摂らずに過ごそうと、涙ぐましい努力をしていたことを、百鬼園はどこかで書いていた。本当の酒呑みとはそうしたものであろう。午後の時間に茶菓を人に勧められて断わるのも失礼だし、かといって・・・・と嘆く。そんな百鬼園が冬の晩酌の膳に載せんとして海鼠に庖丁を入れた途端に、たっぷり含まれた冷たい水がドッと湧き出る。イキがいいからである。冬は海鼠をはじめ牡蠣や蟹など、海の幸がうまい時季。海鼠酢はコリコリした食感で酒が進む。百鬼園先生のニンマリとしてご満悦な表情が目に見えるようだ。この句は明治四十二年「六高会誌」に発表された。「滾々」とはいささかオーバーな表現だが、ここでは句の勢いを作り出していて嫌味がない。冴えていながら、どこかしら滑稽感も感じられる。最初から「滾々・・・」という句ではなかった。初案は「わき出づる様に水出ぬ海鼠切る」だった。「わき出づる様に水出ぬ」では説明であり、「水」は死んでしまっているから、海鼠もイキがよろしくない。しかも「出づる」「出ぬ」の重なりは無神経だ。思案の後「滾々」という言葉を探り当てて、百鬼園先生思わず膝を打ったそうである。志田素琴らと句会「一夜会」をやりながら、独自のおおらかな句境を展開した。しかし、本人は当時の文壇人の俳句隆盛に対しては懐疑的で、「文壇人の俳句は、殆ど駄目だと言って差支えないであろう」と言い、「余り流行しないうちに下火になる事を私は祈っている」とも言い切るあたりは、まあ、いかにもこのご仁らしい。ちなみに漱石や龍之介の俳句に対する百鬼園の評価は高くはなかった。『百鬼園俳句帖』(ちくま文庫)所収。(八木忠栄)


December 12122006

 雪女くるべをのごら泣ぐなべや

                           坊城俊樹

粋を承知で標準語にすれば「雪女がくるぞ男の子なんだから泣くな」とでもなるのだろうか。雪女は『怪談』『遠野物語』などに登場する雪の妖怪で、座敷わらしやのっぺらぼうに並ぶ、親しみ深い化け物の一人だろう。雪女といえば美しい女として伝えられているが、そのいでたちときたら、雪のなかに薄い着物一枚の素足で佇む、いかにも貧しい姿である。一方、西洋では、もっとも有名なアンデルセンの『雪の女王』は、白くまの毛皮でできた帽子とコートに身を包み、立派な橇を操る百畳の広間がある氷の屋敷に暮らす女王である。この豪奢な暮らしぶりに、東西の大きな差を見る思いがするが、日本の伝承で雪女は徹底した悪者と描くことはなく、どこか哀切を持たせるような救いを残す。氷の息を吹きかけるものや、赤ん坊を抱いてくれと頼むものなどの類型のなかで、その雪のように白い女のなかには、幸いを与えるという一面も持っているものさえもあり、ある意味で山の神に近い性格も備えている。さらに掲句には、美貌の雪女にのこのこと付いて行く愚かな人間の男たちへの嘲笑が込められているような、女の表情も垣間見ることができる。「雪女郎美しといふ見たきかな」(大場白水郎)、「雛の間の隣りは座敷童子の間」(小原啄葉)など、かつて雪に閉じ込められるように暮らしてきた人々が作り出した妖怪たちに、日本人は親しみと畏れのなかで、深い愛情を育んできたように思えるのだ。『あめふらし』(2005)所収。(土肥あき子)




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