December 172006
湯屋あるらし小春の空の煙るかな
奥名房子
のんびりとした冬の一日(ひとひ)を描いています。季語は「小春」、春という字が入っていますが、冬の季語です。冬ではあるけれども、風もなく、おだやかで、まるで春のように暖かい日を言います。湯屋とは、もちろん風呂屋あるいは銭湯のことです。「ゆや」というヤ行のやわらかい響きが、その意味になるほど合っています。「あるらし」と言っているところを見ますと、地元の風景を言っているのではなく、どこかへ出かけた先での情景でしょうか。それも、急で深刻な要件の外出ではないようです。昔の友人にでも久しぶりに会いにゆくのでしょうか。小さな私鉄の駅から降りて、人通りの少ない道を歩いてゆくと、地面に張り付いたように広がる背の低い街並みが見えます。じゅうぶんな広さを与えられた空が、目の前にゆったりと広がっています。その中空に、ひとすじの煙が上がっては流れ、空へ溶けてゆきます。あの下には、もしかしたら銭湯があって、のんびりと昼の湯に浸かっている人たちがいるのかしらんと、思っているのです。句全体に、「ら」行の響きが多用され、この外出の心を、より浮き立たせているように感じさせます。『朝日俳壇』(朝日新聞・2006年12月4日付)所載。(松下育男)
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