December 222006
亡き夫の下着焼きをり冬の鵙
岡本 眸
作者の夫は四十五歳で脳溢血で急逝。その時の夫への悼句のひとつである。人はいつも見ていながら平凡な風景として特段に注意を払わない事物や事柄に、或る時感動を覚える。見えるもののひとつひとつが、それまで感じたことのない新しい意味をもたらすのだ。「下着」がそれ。俳句的情趣という「ロマン」を纏わない「下着」が或る日、かけがえの無い情緒をもったものに変わる。同じときに創られた一連の悼句の中のひとつ「夕寒し下駄箱の上のセロテープ」もそう。夫の死によって、「夫が遺していった」という意味をもった瞬間、下着やセロテープが感動の事物に変化する。僕等はさまざまな個人的な「感動」を内包するあらゆる事物や風景のカットに一日何千、何万回も遭遇していながら、それを「自分」に引きつけて切り取ることができない。「共通理解」を優先して設定するため、いわゆる俳句的素材や「俳諧」の中に感動の最大公約数を求めてしまうからだ。作者は三十代の頃、俳句と並行して脚本家をこころざし、馬場當に師事して助手を務める。日常のさまざまのカットの中にドラマの一シーンを見出す設定に腐心した者の体験がこの句にも生かされている。『岡本眸読本』(富士見書房・1999)所載。(今井 聖)
February 092007
一本の白毛おそろし冬の鵙
桂 信子
冬の鵙の叫びの鋭さを思えば、この「おそろし」はまさに深刻な事態だ。白毛(しらが)は老化の兆し。気持ちの良いものではないが、男性は女性ほど気にしない。「おそろし」の感じはまさに女性の感覚だろう。男ならさしずめ「抜毛おそろし」だろうか。大方が「おそろし」と感じる部分を逆にファッショナブルに転ずることができれば最高のおしゃれかも知れない。ハゲ頭の似合うカッコいい男性や、白髪が美しい女性。前者としては古くはユル・ブリンナー、ショーン・コネリー。最近のブルース・ウィルス。日本の俳優では渡辺謙や西村雅彦などをすぐに思いつく。後者はあまり思い出せないが、市川房江さんなんか清廉なイメージの中心にあの白髪があったな。過日、吉田拓郎のコンサートの映像を見たとき、客の中に多くのハゲ頭を見出した。拓郎自身かなり額が上がってきていて、それを気にせず舞台に立っている姿に客は自身を重ねて感動するのだろう。そういう点からの共感もあるはずだ。老化は、地球の引力の援護も得て、刻一刻と皺を弛ませ肉体を変貌させていく。美しく老いるのは難しいが、「おそろし」とばかりは言っていられない。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)
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