December 302006
人々の中に我あり年忘
清崎敏郎
比較的広い、いわゆる居酒屋のような店で飲んでいると、初めは、自分も含めてそこに居合わせた一人一人をくっきり認識しているのだが、酔いがまわって来るにつれ、すべてが独特のざわめきの中に埋没してくる。二度と同じ空間や時間を共有することはない多くの愛すべき人々は、言葉は交わさなくてもお互いに不思議な居心地の良さを作り出すのである。ただの酔っぱらいの集団でしょ、と言われれば否定できないし、静かなところでゆっくり飲むのが好きという向きもあろうが、このざわざわが妙に落ち着くのだ。作者がお酒を好まれたときいて、この句を読んだ時、そんな空間に身を置いて、ふっと我にかえってしみじみとしながらも、ひとりではない自分を感じている、そんな気がした。年忘(としわすれ)は忘年会のことだが、もとは家族や親戚、友人と、年末の慰労をするささやかなものをいったようである。歳時記を見ると、会社などの大人数のものを忘年会と呼び、千原草之(そうし)に〈立ってゐる人が忘年会幹事〉と、いかにも賑やかな雰囲気の一句も見られる。この句も、あるいは一門の納め句座の後の酒宴で、人々とは、共に切磋琢磨した句友なのかもしれない。ただ、年惜しむ、や、年の暮、ではないところで、つい酒飲み的鑑賞になってしまった。御用納めもすんで晦日の今日、連日の年忘にお疲れ気味、という方も多い頃合いか。しかしもう二つ寝れば今度はお正月、皆さま御大切に。「ホトトギス新歳時記」(1996・三省堂)所載。(今井肖子)
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