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2007ソスN1ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0612007

 元旦や新妻その他新しき

                           成瀬正とし

の字は、水平線から太陽が昇ってくるさまを表した象形文字で、元旦は元日の朝をさすという。私は年末の数日を、大きな窓から海しか見えない部屋で、毎朝昇ってくる朝日を見て過ごした。久しぶりに見る海からゆらゆらと赤く昇る太陽は、まさしく生きものであり、動いているのは自分の方かもしれない、と最初に思った人はやはりすごい、とおよそ詩的でないことを考えつつ。残念ながら大晦日に帰京したので、初日の出は狭い空をせわしなく昇って来る太陽を、いつものベランダから見たのだが、それでも元旦に窓を開けて深呼吸する時は新しい気持になる。この句は、昭和二十年代の作。作者は渋谷区に住んでおられたようだが、東京も今より正月らしさのある街だったことだろう。二人で迎える初めてのお正月、二十代のサラリーマンゆえ、さほど立派にしつらえたおせちが並ぶわけではないだろうが、掲句に並んで〈妻ごめに年酒の盃をとりあげて〉とあるので、手料理をはさんで差し向かい、新年の盃を酌んでいる。その幸せ、うれしさが一句になったのだが、やはりどこか照れくさい、その照れくささが、新妻その他、という中七にほどよく表れている。同時に、新年の決意を新たにしている、純粋で衒いのない若々しさも感じられ、松もとれかかっている今日ではありますが、年頭の一句に。『笹子句集第一』(1963)所載(今井肖子)


January 0512007

 松過ぎのまつさをな湾肋骨

                           原田 喬

正十三年「ホトトギス」第一回同人に推された原田濱人(ひんじん)は、虚子の許可を得て「ホトトギス」に書いた主観重視の論「純客観写生に低徊する勿れ」を理由に虚子に破門される。「ホトトギス」の同期の飯田蛇笏、原石鼎ら主観派に対する見せしめとしてスケープゴートにされたのだ。早い話が虚子にハメられたのである。その七年前、まだ二人の関係が良好であった頃、虚子は、奈良で教鞭をとっていた濱人宅を尋ね、その時四歳だった濱人の子喬(たかし)を句に詠んでいる。「客を喜びて柱に登る子秋の雨」虚子の句集『五百句』所収のこの句に詠まれた喬は、失意の父とともに郷里浜松で暮す。父は地元で俳句結社「みづうみ」を興し、生涯その指導に当る。父死後、喬は父の跡を継がず加藤楸邨に師事する。喬は1999年没。喬もまた郷里浜松で生涯を終えている。「まつさをな湾」は遠州灘。肋骨(あばらぼね)は、そこに生活の根を置く自己の投影。それはまた父から受け継いだ血と骨格である。句柄はおおらかで素朴。「土に近くあれ」を自己の信条とした。『灘』(1989)所収。(今井聖)


January 0412007

 初夢や耳深くして人の波

                           谷さやん

の中の風景にも思えるが、現実に作者がいるのは雑踏の中だろう。身動きの出来ない賑わいに身を揉まれつつ、数日前に見た初夢をぼんやりと思い出している。「耳深くして」という表現から、連れもおらず一人で下を向いて人波に揺られている情景が想像できる。初詣なら、境内にぎっしり詰まった参拝の列が移動するたび身体ごと前へ押し出されてゆく。列についている人達の声がすぐ近くで話しているのに遠くから聞こえてくるように思えるのは自分の想いに沈んでいるからだろうか。その雰囲気は目覚めのとき、雀の声や新聞配達のバイクの音などが夢の底に滑り込んできて、ゆっくり現実に浮上してゆく感じとどこか似ている。「初夢」は元日、または正月二日に見る夢。吉凶を占う意味もあり、普段夢に無頓着な人も気になるところだろう。曖昧模糊とした夢の輪郭は思い出そうとしても、もろく消え去ってしまう。夢を辿りつつ夢に漂っているわたしと、雑踏の只中にあるわたし。現実と夢との境目があるからこそ「耳深くして」と、感覚の内部に入り込む表現が生きてくるのだろう。この言葉が「初夢」「人の波」と異質な空間を結びつけ、句に幻想的な味わいを醸し出しているように思う。『逢ひに行く』(2006)所収。(三宅やよい)




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