j句

January 0712007

 人日の雨青年をおびやかす

                           原 裕

も日も、どちらも深く、かけがえのない意味をもつ語ですが、それを組み合わせた言葉があるとは知りませんでした。「人日」とは、「ひとひ」ではなく「じんじつ」と読みます。不思議な響きをもった単語です。「1月7日」を意味します。手元の歳時記によりますと、「中国漢代に、6日までは獣畜を占い、7日に人を占ったことからの名」とあります。獣畜を先に置き、人をその後に置く順番には、やさしい手つきが感じられます。人を特別な存在と見ずに、生きとし生けるもののうちにふくめるという気配りを感じます。歳時記には、「この日は、人に対する刑罰を避けた」ともありました。「人」がことさらに「人」であることを意識する日なのかもしれません。その喜びと悲しみが同時に、人を襲ってくるのです。1月7日という歳の若い雨は、冷たく青年をぬらします。人の日に、青年は何におびえているのでしょうか。「人」であることの根源に向かった恐れなのでしょうか。さて、年が変わってもう7日が過ぎました。明後日からは通常の仕事に戻る方も多いことでしょう。「人の日」とは、正月気分から普通の自分に戻るための日なのかもしれません。温かなおかゆでも食べて、しゃきっとして、明日からの長い「人の日々」に備えましょう。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


January 1412007

 人参は赤い大根は白い遠い山

                           辻貨物船

物船忌、1月14日です。新聞記事で辻征夫さんの死亡を知り、急ぎ通夜に向かった日のことを思い出します。もう7年も前のことになります。辻さんとは若いころに、詩の雑誌の投稿欄の選者として、一年間ご一緒したことがあります。投稿の選評が終わった後に、小さな雑誌社の扉を開け、夜の中にすっくと立つ背筋の伸びた辻さんの姿を、今でも思い出します。「貨物船」から降ろされた多くのすぐれた詩は、深い情愛に満ちたものばかりでした。隙(すき)のない詩や小説の「余白」に書き付けられたであろう俳句は、しあわせに力の抜けた場所での創作だったのでしょう。掲句、冬の清新な空気と、ほっとする心持を読むものに与えてくれるものであります。人参、大根ともに、旬の冬が季語です。手元には、細かく切り刻み、酢であえた膾(なます)が、ひざの前に置かれています。その膾へ、そっと差し出す箸の動きを想像します。箸の先には実生活と格闘する辻さんがいて、片手にはウイスキーのコップを持っています。ウイスキーを飲みながら見つめる先には、「創作」の遠い山が見えていたのでしょうか。酔った口からいくらでも出てくる文学談を、若かったわたしは、目を輝かせて聞いていたのでした。「松下君、詩もいいけど、俳句というものも、すごいよ」。辻さんの声が今でも、すぐ近くから聞こえてくるようです。『貨物船句集』(2001)所収。(松下育男)


January 2112007

 木枯や煙突に枝はなかりけり

                           岡崎清一郎

人、岡崎清一郎の句です。季語は木枯らし、冬です。語源は、「木を枯らす」からきているとも言われています。「この風が吹くと、枝の木の葉は残らず飛び散り、散り敷いた落ち葉もところ定めずさまよう」と、手元の歳時記には解説があります。垂直に立つ煙突を、木枯らしは横様に吹きすぎます。煙突を、枝のない木と発想するところから、この句は生まれました。その発想自体は、それほどめずらしいものではありません。しかし、木という言葉と、煙突という言葉の間に、「木枯らし」を吹かせたことで、空を支える三者につながりができ、その言葉の組み合わせが、物語をつむぎだす結果になりました。まるで、煙突にはもともと枝葉があって、木枯らしに吹かれたために、今のような姿になったかのようです。冬空に高くそびえ、寒さに耐える煙突の姿は、たしかにいたいたしくもあります。それはそのまま、コートのポケットに手を入れて冷たい風の中にたたずむ老いた人のようでもあります。かつて、友人や家族という枝葉に囲まれて、遮二無二生きてきた日々を、その人は路上に立って思い返している。と、そこまで読み取る必要はないのかもしれません。しかし、この句を読めば、だれしもの頭の中に、しんとした物語が始まってしまうはずです。『詩のある俳句』(1992・飯塚書店)所載。(松下育男)


January 2812007

 回りつづけて落とすものなし冬の地球

                           桑原三郎

と星が引き合う力を、孤独と孤独が引き合っていると言ったのは、谷川俊太郎です。地球が回っているのに、自身の表面から何もはがれてゆかないのは、たしかに引力というさびしさによるものなのかもしれません。生きるということは、大地に引っ張り続けられることです。この句の視線はあきらかに、大空を見上げるものではなく、地球を側面から、あるいは鳥の目で見下ろしています。このような乾いた視線を、ためらいもなく作品に提示できるのは、俳句だからの事のような気がします。どんな世界を描いていても、有無を言わさず言葉を切り落としてしまう俳句だからこそ、可能なのではないでしょうか。詠まれている空間の大きさにもかかわらず、わたしはこの句に、なぜかミニチュアの、部屋の中に作られた宇宙のような印象を持ちます。目の前に広がる空間に、地球が浮かび、ガラガラ音をたてながら回っています。目を近づければ、細かな町並みが通っており、しがみつくようにして小さな人々が歩いています。むろん部屋の外は冬。窓をあければ、地球全体に北風が吹き込みます。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)


February 0422007

 春浅し引戸重たき母の家

                           小川濤美子

年は暖冬ですが、暦の上では今日が立春、本日からが「春」です。掲句、季語は「春浅し」。まだまだ寒さの残る時期を指しています。「母の家」とありますが、たしかに実家といえば母親の姿が思い浮かびます。悲しいかな父親というのは、家の中では影の薄い存在です。この句を、まさにわが事のように感じる読者は多いだろうと思います。わたしの母も85歳で健在ですが、数年前までは元気に歩き回っていたものが、最近、急に足腰が弱ってきました。そういう日が来ることは当たり前であり、うろたえてはいけないとは思うものの、部屋の中での移動も難渋している様子を見るにつけ、たまらない思いを抱いてしまいます。実家は木造の、ごくありふれた作りの小さな家です。いつ行っても同じ匂いがします。何年たっても同じものが同じところに置いてあります。そのことにほっとするのです。引戸が重いのは、建付けの悪さから来ているものか、単に古くなったせいなのか。たしかに、マンションのサッシのように滑らかには動きません。がたんがたんと引戸に力を込める手は、容易に前に進もうとしません。その重さは、どこか、母の背負ってきた時間の重さのようにも感じられます。それでもやっと開け放てば、外は驚くほどの明るい日差しです。「お母さん、もうこんなに春の光ですよ」。『角川大歳時記 春』(2007・角川書店)所載。(松下育男)


February 1122007

 豆腐屋の笛もて建国の日の暮るる

                           岡崎光魚

和をノスタルジーの対象にする最近の風潮には、多少の抵抗があります。しかし、気がつけばわたしも昭和を、懐かしく思い出していることがあります。掲句、「豆腐屋の笛」という言葉を目にして、そういえば昔、そんな音を聞いたことがあったなと思いました。あの、どこか気の抜けた金属的な音が、耳の奥で蘇ります。当時の家は、今ほど密閉性にすぐれていませんから、家の中にいても道端の音がはっきりと聞こえてきました。笛の音と、「とーふぃー」という間延びのした声を聞くと、割烹着すがたの母親が鍋をかかえて外に急いだものです。たしかに当時の家は、今よりもずっと外と緊密につながっていました。扉も今のようにいくつも鍵がかけられていたわけではありません。外部というのは、必ずしも防ぎとめる対象ではありませんでした。時に「さおだけー」だったり「いしやきいもー」だったり、ラーメンのチャルメラだったり、家の玄関の延長のような場所で、物売りがのんびりと通り過ぎたものです。今日の句を読んで真っ先に目に浮かんだのは、昭和の懐かしい風景でした。道端を通り過ぎる豆腐屋の向こうの、広々とした原っぱに夕日が沈もうとしています。そんな懐かしさの只中に、「建国」という重い言葉が置かれています。しかし、神武天皇がその昔即位した日にしろ、一日はただの一日です。市井の人々にとっては、国を作ることよりも切実な出来事があり、その日もいつもと変わらずに、豆腐屋の笛を合図に、何事もなく暮れてゆくのです。『角川大歳時記 春』(2007・角川書店)所載。(松下育男)


February 1822007

 春一番今日は昨日の種明かし

                           上田日差子

でに先週の水曜日に、春一番が吹いた地域も多いかと思います。季語はもちろん「春一番」。立春を過ぎてから初めて吹く強い南寄の風のこと、と手元の歳時記にはあります。「一番」という言い方が自信に満ちていて、明るい方向へ向かう意思が感じられます。春になり、日に日に暖かくなってゆくこの季節に、種明かしされるものとは、命の源であるのでしょうか。「種明かし」という語が本来持っている意味よりも、「種」と「明かす」という語に分ければ、未来へ伸びやかに広がり続けるイメージがわいてきます。昨日蒔かれた種の理由が、今日あきらかにされます。次々と花ひらく今日という日を、わたしたちは毎年この季節に、驚きをもって迎えいれます。「風」も「時」も、こころなしかその歩みをはやめてゆくようです。その歩みに負けじと歩き出すと、顔に心地よく「春一番」がぶつかってきます。余韻をもった句や、潜められた意味を持った句も魅力的ではありますが、この句のように隅々まで明るく、意味の明快な句は、それはそれで堂々としていて、わたしは好きです。よけいなことながら、作者の名からも、あたたかな日が差し込んでくるようです。『現代歳時記』(1998・成星出版)所載。(松下育男)


February 2522007

 紙風船紙の音してふくらみぬ

                           伏見清美

風船といえば、まず思い浮かべるのは、掌ではねて幾度も空へ打ち上げられる図です。その図から、未来への希望や願い事、あるいは空の大きさへと連想はつながります。この句が新鮮に感じられるのは、そういった誰しもが持つ感覚ではなく、もっと手前の視点から風船を描いているからです。季語は風船、やわらかく膨らむ春です。作者は、空に打ち上げられる前の段階に目を留めます。三日月形の、折りたたまれた色鮮やかな平面が、じょじょに立体へと変化して行く過程を描こうとしています。それも見た目ではなく、「紙の音して」と、聴覚を持ち出すところは、なるほど見事と思います。この句を読めば皆、耳の奥に、紙が自分の身を広げてゆくときの、伸び上がるような音を聞くはずです。空へ飛び上がる前に、紙風船はまず、自分自身の中に空を広げます。紙風船に顔を近づけて、思い切り息を吹き込んでいるのは、風船のように頬の柔らかな幼児でしょうか。玄関には富山の薬売りが坐って、大きな風呂敷の結び目をほどいています。紙風船は素敵に胸をときめかすおまけでした。母親の後ろで、紙風船がいつもらえるかと待っている子供の姿が、思い出の中にはっきりと見えます。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


March 0432007

 巻き込んで卒業証書はや古ぶ

                           福永耕二

のめぐり合わせで、わたしは卒業式というものにあまり縁がありません。高校の卒業式は、式半ばで答辞を読む生徒(わたしの親友でした)が、「このような形式だけの式典をわれわれは拒否します」と声高々と読み上げ、舞台に多くの生徒がなだれ込み、そのまま式は中止になりました。時代は七十年安保をむかえようとしていました。そののち大学にはいったものの、連日のバリケード封鎖で、構内で勉強する時間もろくに持たないまま4年生になり、当然のことながら卒業式はありませんでした。学部の事務所へ行って、学生証を見せ、食券を受け取るように卒業証書をもらいました。実に、悲しくなるほどに簡単な儀式でした。式辞も、答辞もありません。高らかに鳴るピアノの音もありません。窓から見える大きな空もありません。薄暗い事務室で、学部事務員と会話を交わすこともなく、卒業証書を巻き込んで筒に入れて、そそくさと高田馬場駅行きのバスに乗り込みました。後に考えればその当時は、時代そのものの卒業であったのかもしれません。掲句、わたしの場合とは違い、卒業証書には、きれいに込められた思いがあるようです。証書はきつく巻き込むことによって、すでに細かな皺がよります。皺がよったのは証書だけではなく、それまでの日々でもあります。卒業した身を待っているのは、筒の中とはあきらかに違う世界です。「古ぶ」と、決然と言い放つことによって、これからの時間がさらにまぶしく、磨かれてゆくようです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


March 1132007

 起きよ起きよ我が友にせんぬる胡蝶

                           松尾芭蕉

代詩が昆虫をその題材に扱うことは、そう多くはありません。かすかに揺れ動く心情を、昆虫の涙によって表したものはありますが、多くの場合「虫」は、姿も動きも、人の観念を託す対象としてはあまり向いていないようです。片や、季語がその中心に据えられた「俳句」という文芸においては、間違いなく虫はその存在感を存分に示すことができます。季節の中の身動きひとつでさえ、俳人の掌に掬い取られて、時に感情の深部にたどり着くことがあります。掲句、「ぬる」は「寝る」の意味。虫の中でも、「蝶」の、夢のように舞うすがたは、地べたを這う虫とは違った印象をあたえてくれます。芭蕉が「起きよ起きよ」と二度も声を掛けたくなったのも、色彩そのもののような生き物に、弾むこころが抑えられなかったからでしょう。「我が友にせん」というのは、単に話し相手になっておくれということでしょうか。あるいは蝶に、夢の中身を教えてくれとでも言うつもりでしょうか。一人旅の途中で、目に触れたかわいらしい生き物に、つい声を掛けたと思えば、ほのぼのとした情感を持つことができます。ただ、見方によっては、これほどにさびしい行為はないのかもしれません。一人であることは、それが選び取られたものであっても、ちょっとした心の揺らぎによって、だれかへもたれかかりたくなるもののようです。『芭蕉物語』(1975・新潮社)所収。(松下育男)


March 1832007

 春雨や火燵の外へ足を出し

                           小西来山

が家の高校生の娘たちは、火燵(こたつ)のある生活を知りません。正月に実家に行ったときに、物珍しそうに何度か入ってみたことがあるだけです。江戸期に詠まれたこの句が、そのまま実感として理解できる時代も、もうそろそろ終りに近づいているのかもしれません。暖炉とか、火鉢とか、火燵とか、その場所へ集まらなければ暖をとれない、ということの意味が、ようやく理解できるようになってきました。みんなが足を運び、顔を並べることの温かさは、なにも暖房器具から発せられる熱だけのせいではなかったのです。家を濡らして朝からえんえんと雨が降り続いています。障子の向こうから聞こえてくる音は、もういきものを冷やすものではありません。とはいうものの、部屋のなかに火燵が置いてあればつい足を入れてしまいます。もう火燵をしまう時期だと思ってから、月日はだいぶ経ちました。そのうちに寒い日がまたあるかも知れないという言い訳も、もうききません。でも、火燵をしまうのに特別な締め切りがあるわけのものでもなし、そのうちに気が向けばしまうさ、と自分のだらしなさを許してしまいます。それにしてもこの陽気では、火燵はさすがに熱く、たまらなくなって足を引き抜きます。火燵の前に両足をたてて膝を抱え、なんとも窮屈な姿勢で、季節に背中を押されているのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 近世俳人』(1980・桜楓社)所載。(松下育男)


March 2532007

 遅き日のつもりて遠きむかしかな

                           与謝蕪村

語は「遅き日」、日の暮れが遅くなる春をあらわしています。毎年のことながら、この時期になると、午後6時になってもまだ外が明るく、それだけでうれしくなってきます。この「毎年」というところを、この句はじっと見つめます。繰り返される月日を振り返り、春の日がつもってきたその果てで、はるかなむかしを偲んでいます。「日」が「積もる」という発想は、今の時代になっても新鮮に感じられます。蕪村がこの発想を得た地点から、日本の詩歌がどこまでその可能性を伸ばすことができたかと、つくづく考えさせられます。叙情の表現とは、しょせん引き継がれ発展するものではなく、あくまでも個人の感性の深さに頼ってしまうものかと思ってしまいます。「つもる」という語から、微細な埃が、春の日の中をきらめいて落ちる様子を思い浮かべます。間違いなく日々は、わたしたちを単に通過するのではなく、丁寧に溜(た)められてゆくようです。冊子のように重ねられた「遅き日」をめくりながら、蕪村がどのような感慨をもったのかについては、この句には描かれていません。読む人それぞれに、受け取り方は違ってくることでしょう。静かに通り過ぎて行った「日」も、あるいは激しい感情に揺れ動いた「日」も、ともに「むかし」にしまわれた、二度と取り出せない大切な「時」の細片なのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 与謝蕪村』(1984・桜楓社)所収。(松下育男)


April 0142007

 小当たりに恋の告白四月馬鹿

                           中村ふじ子

月一日です。エイプリルフールです。では、ということで、いくつかの歳時記にあたってみたのですが、「四月馬鹿」あるいは「万愚節」を季語にした句は、どれもピンときません。とってつけたように「四月馬鹿」が句の中に置いてあるだけのように感じるのです。そんな中で、素直に入ってきたのが掲句です。「こ」の音のリズムに、遊び心が感じられます。たぶん、同じ職場の人について言っているのでしょう。いつもひそかにその人のことを思っています。でも深刻な顔で告白する勇気はありません。だめだったときに気まずくなってしまうだろうと思うと、ためらいが出てくるのです。それならばエイプリルフールに、ちょっとした「当たり」をつけてみたらどうだろうと考えたのです。仮に断られても、「冗談冗談」と言って済ませられる日だと、逃げ場を作ったのです。「小当たりに」のところがたしかに、人を好きになった者の弱みと微妙な心理が描かれていて、納得できます。しかし、どう考えてもこの作戦は、うまくゆくようには思えません。告白するほどの思いなら、ずっと当人の胸を痛め、頭を占めてきたはずです。つまり人生の一大事であるはずなのです。四月一日に「小当たりに」なんて、もったいないと思うのです。好きなら好きで、もっと死に物狂いになって、正面からきちんと告白したほうがよいと、わたしの経験から思うのですが。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


April 0842007

 三つ食へば葉三片や桜餅

                           高浜虚子

月八日、虚子忌です。桜餅という、名前も姿も色も味も、すべてがやわらかなものを詠っています。パックにした桜餅は、最近はよくスーパーのレジの脇においてあります。買い物籠をレジに置いたときに、その姿を見れば、つい手に取ってかごの中に入れたくなります。「葉三片や」というのは、「葉三片」が皿の上に残っているということでしょうか。つまり、葉を食べていないのです。わたしは、桜餅の葉は一緒に食べてしまいます。あんなに柔らかく餅と一体化したものを、わざわざ剥がしたくないのです。もしもこれが三人で食べた句なら、三人が三人とも葉を残したことになりますが、この句ではやはり、一人で三つ食べたと言っているのでしょう。どことなくとぼけた味のある句です。男が桜餅を三つも食べること自体が、ユーモラスに感じられます。ああいうものは、一人にひとつずつ、軽やかに味わうもので、続けざまに口に入れるものではありません。句全体がすなおで、ふんわりしています。個性的で、ぎらぎらしていて、才能をこれみよがしにしたものではありません。虚子からのそれが、ひとつのメッセージなのかもしれません。さらに、これほどに当たり前のことをわざわざ作品にする、俳句の持つ特異性を、考えさせる一句ではあります。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


April 1542007

 老の身は日の永いにも泪かな

                           小林一茶

つまでも色あせることのない感性、というものがまれにあります。また、文芸にさほどの興味を持たない人にも、たやすく理解され受け入れられる感性、というものがあります。一茶というのは、読めば読むほどに、そのような才を持って生まれた人なのかと思います。遠く、江戸期に生きていたとしても、呟きは直接に、現代を生活しているわたしたちに響いてきます。むろん、創作に没頭していた一茶本人にとっては、そんなことはどうでもよかったのでしょう。自分の句が、将来にわたってみずみずしさを失わないだろうなどとは、少しも思っていなかったに違いありません。それは結果として、たまたまそうであったということなのです。たまたま一茶の発想の根が、人間の時を越えた普遍の部分に結びついていたからなのです。さて掲句、内容を説明する必要はありません。明解な句です。季語は「日永し」、日が永くなるのを実感する春です。まさか、老齢化が進む現代の日本を予想したわけでもないでしょうが、この切実感は、今でこそ読むものに深く入り込んできます。「日が永く」なり、ものみな明るい方向へ進む、そんな時でさえ、わが身を振り返ると泪(なみだ)が流れるのだと言っています。外が明るければ明るいほどに、自分の命という無常の闇は、その濃度を増すようです。特別な題材を扱っているわけではない、変わった表現を駆使しているのでもない、それでも一茶はやはり、特別なのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 小林一茶』(1980・桜楓社)所収。(松下育男)


April 2242007

 朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ

                           水原秋桜子

くもこれだけ短い言葉の中で、このようなきらびやかな世界を作ったものだと思います。詩歌の楽しみ方にはいろいろありますが、わたしの場合、とにかく美しく描かれた作品が、理屈ぬきで好きです。読んですぐに目に付くのは、中七の4つの漢字です。これが現代詩なら、めったに「鏡中」だとか「落花」などとは書きません。「鏡のなか」とか、「おちる花」といったほうが、やさしく読者に伝わります。句であるがための工夫が、創作過程で作者によってどれだけなされたかが、想像されます。もちろん読者としてのわたしは、自然に言葉を解きなおし(溶きなおし)、鑑賞しているのです。春が進むにつれて、日々、太陽の射し始める時刻は早まってきます。じりじりと部屋に侵入してくる明るい陽射しでさえも、ふとんの中の心地よい眠りを妨げるものではありません。まして目覚め間際の眠りほど、そのありがたさを実感させてくれるものはありません。けだるい体のままに目を開けると、いきなり飛び込んできたのは、世界そのものではなく、きれいな平面で世界を映した鏡でした。鏡という別世界の中を陽射しが入り込み、さらに光の表面をすべるように花びらが落ちてゆきます。なんだか、目覚めたあとも眠りの中のあたたかな美しさに取り巻かれているようです。潔くも、それだけの句です。『鑑賞俳句歳時記』(1970・文藝春秋社)所収。(松下育男)


April 2942007

 春雨や動かぬ貨車の操車場

                           宮原和雄

供の頃に、大田区の西六郷に住んでいました。近くに蒲田の操車場があり、国鉄(今のJR)関係の仕事に従事している人が多く住んでいました。国鉄職員のための「国鉄アパート」や、社宅がありました。小学校中学校と、そこから通っている友人も多く、よく操車場近くで一緒に遊んでいました。何台もの車両が金網の向こうに見える風景が、いつも日常の中にしっかりとありました。操車場とは言うまでもなく、車両の入れ換え・整備などを行う場所です。「動かぬ」と句の中でも強調しているように、多くの車輌は一見、静かにたたずんでいるかのように見えます。その動かないことが、秘めたエネルギーを感じさせ、間近に見ると圧迫感を持ってせまってきます。季語は春雨。これから生き物が息づいてくる季節に降る雨です。掲句も、明るい方向へ向かう季節の中の操車場を詠っていますが、全体の印象はどちらかと言うと、「勢い」よりもむしろ「休息」です。荷物を降ろしたあとで、貨車は操車場のてのひらに包まれて静かに眠っているようです。その眠りを起こすことなく、車輌を濡らして春の雨が降り続けます。貨車のほっとした吐息が、春のやさしい雨音の向こうから聞こえてきそうです。本日は昭和の日。昭和をどうする日なのかはわかりませんが、わたしが国鉄アパートの階段を駆け上がっていた頃は、昭和もまだ、若い頃でした。『鑑賞歳時記 春』(1995・角川書店)所載。(松下育男)


May 0652007

 路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ

                           菖蒲あや

年詩を書いていると、あらかじめ情感や雰囲気を身につけている言葉を使うことに注意深くなります。その言葉の持つイメージによって、作品が縛られてしまうからです。その情感から逃れようとするのか、むしろそれを利用して取り込もうとするのかは、作者の姿勢によって違います。ただ、詩と違って、短期勝負の俳句にとっては、そんな屁理屈を振り回している暇はないのかもしれません。もしも語が特別な情をかもし出すなら、それを利用しない手はないのです。「路地」という言葉を目にすれば、多くの人は、共通の懐かしさや温かさを感じることが出来ます。掲句を読んで、はっきりとした情景が目に浮かぶのは、この語のおかげなのだろうと思われます。細い道の両側から、軒が低くかぶさっています。その隙間から初夏の空が遠く覗いています。狭い道端には、乱雑に鉢植えや如雨露(じょうろ)が置いてあり、地面にはろうせきで描かれた線路のいたずら書きや、石蹴りで遊ばれたあとの丸や四角が描かれています。急に暑さを感じた昼に、引き戸を開けて道に出れば、どこから湧き出してきたのか、たくさんの子どもたちが走り回っています。植物がその背丈を伸ばすように、自然の一部としての「子ども」という生き物が増殖して、家から弾き飛ばされてきたかのようです。ぶつからないように歩くわたしも、今年の夏が与えられたことを、確実に知るのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 1352007

 嶺暸かに初夏の市民ゆく

                           飯田龍太

年の夏からこの欄を担当することになり、それまで句を読む習慣のなかったわたしは、にわかに勉強を始めたのでした。ただ、広大な俳句の世界の、どこから手をつけたらよいのかがわからず、とりあえず勤め先近くの図書館の書棚に向かい、片っ端から借りてきて読んだのです。そんな中で、もっとも感銘を受けたのが、飯田龍太著『鑑賞歳時記』(角川書店・1995)の4冊でした。句の鑑賞の見事さはもちろんですが、コラム<実作へのヒント>は、どの一行も意味が深く、俳句を詠むものに限らず、文芸に携わるものすべてにとって、精神にまっすぐに届く貴重な文章だと思いました。さて、その飯田氏の句です。暸か(あきらか)と読みます。描かれているのは、それほど遠くない空に、山を見ることのできる地方都市でしょうか。夏が来て、自然に背筋が伸び、人は上空を見つめるようになります。頂上まではっきりと見える山は、初夏にその距離を近づけ、町に歩み寄ってきたかのようです。広々としたこころの開放を感じさせる、さわやかな作品です。「市民」という言葉から、日々を地道に生きる市井の人々の姿が思い浮かびます。作者のまなざしの優しい低さを感じることが出来ます。「市民ゆく」の「ゆく」は、実際に「歩む」意味とともに、生きて生活するすべての行為を含んでいるのでしょうか。生を持つもの持たざるもの、双方を美しく讃えて、句は初夏を見事に取り込みます。『角川大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 2052007

 覗きみる床屋人なし西日さす

                           加藤楸邨

越しをした先で、ゆっくりと見慣れない街並みを眺めながら地元の床屋を探すのは、ひとつの楽しみです。30分も歩けばたいていは何軒かの床屋の前を通り過ぎます。ただ、もちろんどこでもいいというものではないのです。自分に合った床屋かどうかを判断する必要があるのです。ドアを開け、待合室の椅子に座り、古い号の週刊文春などをめくっているうちに呼ばれ、白い布を掛けられ、散髪がはじまります。髪を切る技術はどうでもよいのです。要は主人が、必要以上に話しかけてこないことが肝心なのです。さて掲句です。「覗きみる」と言っているのですから、ただ通りすがったのではなく、頭を刈ってもらおうと思ってきたのでしょう。もし待っている人が多かったら、また出直そうとでも思っていたのかもしれません。ドアの硝子越しに覗けば、意外にも中にはだれも見えません。すいているからよかったと思う一方で、薄暗い蛍光灯の下の無人の室内が妙にさびしくも感じられます。深く差し込んだ西日だけが、場違いな明るさを見せています。床屋椅子(と呼ぶのでしょうか)も、わが身の体重をもてあますように、憮然として並んでいます。床屋の主人とは長年の付き合いなのでしょうか。月日と共にお互いに年齢を加え、外に立つ「三色ねじり棒」も、同じように古びてきました。ただ頭を刈りに来たのに、なぜか急にせつない思いに満たされ、いつもの扉が重くて開けられないのです。『昭和俳句の青春』(1995・角川書店)所載。(松下育男)


May 2752007

 曾て住みし町よ夜店が坂なりに

                           波多野爽波

て(かつて)と読みます。季語は「夜店」。言うまでもなく路上で商いをする露天商のことです。神社やお寺の縁日になると、道の両側に色とりどりの飾り付けをした店が並びます。掲句を読んで、胸がしめつけられるような思いを抱いた人は多いと思います。「曾て住みし町よ」の詠嘆が、読み手の心を一気に掴みます。読むものそれぞれに、昔の出来事や風景が浮かんできます。また、「坂なり」という言葉も印象的です。あまり使われない言い方ですが、坂の傾斜に沿って、という意味なのでしょうか。この傾斜が、句全体に微妙な心の揺らぎをもたらしています。若い頃に暮らしていた町。若かったからできた生活。毎日のように会っていた友人たち。引っ越した日の空までもが目に浮かんできます。あれからいろいろなことがあって、歳をとり、家庭を持ち、今はもう忙しい毎日にふりまわされるばかりで、この町を思い出すことはありません。用事があって久しぶりに訪れた町です。見れば薄暗くなってゆく空の下に、まぶしいほどの光を灯して夜店が出はじめています。なつかしくも楽しい気分になって歩いていると、急に心がざわめいてきます。あの人は今どうしているだろう。うつむいて歩くゆるい下り坂に、かすかにバランスがくずれます。『作句歳時記 夏』(1989・講談社)所載。(松下育男)


June 0362007

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

存知のように夏場所は白鵬が連続優勝を飾り、来場所からは久々の2横綱になります。と、知ったようなことを書きましたが、最近は相撲をテレビ観戦する習慣もなく新聞の大きな見出しに目を通すばかりです。掲句を読んでまず注目したのは「水あさぎ」という語でした。浅学にも、色の名称であることを知らず、いったいこのあざやかな語はどういう意味を持っているのだろうと思ったのです。調べてみれば、「あさぎ」は「浅葱」と書いて、「みずいろ」のことでした。さらに「水あさぎ」は「あさぎ」のさらに薄い色ということです。そういわれて見れば、「水あさぎ」という音韻は、すずしげな水面を連想させます。句の構成はいたって単純です。「夏場所」から「ひかへぶとん」へ連想はつながり、「ひかへぶとん」の属性(色)として「水あさぎ」が置かれているだけです。言い換えれば中七の「ひかへぶとん」が連結器の役割をして、両腕にイメージの強い2語がぶら下がっている格好です。しかし、構成は単純でも、出来上がった作品は独自の世界を見せています。「ひかへぶとん」の「ひかへ」が、「あさぎ」と相まって句全体に奥ゆかしさをもたらしています。みずみずしく力の漲った、透き通るような句です。作者には「夏場所やもとよりわざのすくひなげ」という句もあります。夏場所についての解説を含め、興味のある方は増俳2000年5月10日をクリックして下さい。『作句歳時記 夏』(1989・講談社)所載。(松下育男)


June 1062007

 金魚屋のとゞまるところ濡れにけり

                           飴山 實

ういえばかつては金魚を、天秤棒に提げたタライの中に入れ、売っている人がいたのでした。実際に見た憶えがあるのですが、テレビの時代劇からの記憶だったのかもしれません。考えてみれば、食物でもないのに、小さな生命が路上で売り買いされていたのです。たしかに「金魚」というのは、命でありながら同時に、水の中を泳ぐきれいな「飾り物」のようでもあります。掲句の意味は解説するまでもなく、金魚売りがとまったところに、タライの水が道にこぼれ、濡れた跡がついているというものです。どうということのない情景ですが、水がこちらまで沁みてくるような、しっとりとした印象を持ちます。こぼれた水は夏の道に、濃い斑点のように模様を描いています。句から見えてくるのは、どこまでも続くひと気のない広い道です。道の両側には軒の低い家々が建ち並んでいます。目をこらせば、かなり遠くまで行った金魚売の後姿が見えます。揺れる水を運ぶ人の上に、夏の日差しが容赦なく照りつけています。「キンギョエー、キンギョー」物売りのための高い声は、命のはかなさに向けて、ひたすら叫ばれているようにも聞こえてきます。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)


June 1762007

 花火消え元の闇ではなくなりし

                           稲畑汀子

いぶ前のことになりますが、浦安の埋立地に建つマンションに住んでいたことがあります。14階建ての13階に部屋がありました。見下ろせばすぐ先に海があり、夏の大会では、花火は正面に打ち上げられて、大輪の光がベランダからすぐのところに見えました。ただ、それは年にたった一夜のことです。この句を読んで思い出したのは、目の前に上がるそれではなく、我が家から見える、もうひとつの花火でした。部屋の裏側を通る廊下を、会社帰りの疲れた体で歩いていると、背中で小さく「ボンボンボン」という音が聞こえます。驚くほどの音ではないのですが、振り返ると、遠い夜空にきれいな花火が上がっています。下にはシンデレラ城が見え、ひとしきり花火は夜空を騒がせています。マンションの中空の廊下に立ち止まったままわたしは、じっと空を見ていました。季節を問わず、花火は毎日上がっていました。私の「日々」が、その日の終りとともに背後の空に打ち上げられているようでした。掲句、花火が消えた闇を元の闇から変えたものとは何だったのでしょうか。読み手ひとりひとりに問いかけてくる句です。わたしにはこの「花火」は、わたしたちの「生」そのものとして読み取れます。消えた後にも、確実にここに何かが残るのだと。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)


June 2462007

 えり垢の春をたゝむや更衣

                           洞 池

らぽーと横浜の本屋で、平積みになった『古句を観る』を見つけました。幾度か清水さんの文章の中で紹介されていたこの文庫を、その場で読み始めました。夏のページをぱらぱらとめくっているうちに、目にとまったのがこの句です。すでに梅雨の時候ですが、わたしの心持は一気に、元禄期の更衣(ころもがえ)の季節に囲まれていました。アメリカの本屋を思わせるモダンな明るい紀伊国屋の書棚の前で、わたしは苗字もわからないこの俳人の思考過程をひそやかに辿っていました。柴田宵曲(しょうきょく)が解説しているように、この句で特徴的なのは、視線が未来にではなく、これまで過してきた過去に向かっていることです。やってきたことを丁寧に振り返る優しいまなざしが感じられます。衣服に向けられた心配りは、おそらく人にも同様に向けられていたのでしょう。折りたたまれたのはむろん「服」ですが、句は「春をたたむ」と、きれいな表現をつかっています。どんな春の日々をたたんだのかはわかりませんが、何かよい思い出があったに違いありません。忘れがたいできごとをそのままの状態でしまっておきたいという、けなげな願いが、大切に折り込まれているように感じるのです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)




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