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January 2912007

 新宿のおでんは遠しまだ生きて

                           依光正樹

近、なんとなく涙もろくなってきた自分を感じる。同世代の友人たちにその話をすると、たいていは「俺もだ」と言う。加齢が原因なのだ。この句にも、ほろりとさせられた。通俗的といえばそうであるが、しかし人は生涯の大半を俗に生きる。通俗を馬鹿にしてはいけない。青春期か壮年期か。作者は連夜のように通った新宿のおでん屋を思い出している。それも単におでん屋のことだけではなく、その頃の生活のあれこれが派生して浮かんでくる。そのおでん屋からいつしか足が遠のき、いまではすっかりご無沙汰だ。地理的に遠く離れてしまったのかもしれないが、時間的には明確に遠くなってしまっている。もはや新宿に出かける用事もないし、わざわざ出かけていくほどの元気も失せた。「まだ生きて」とあるから、当時ともに酌み交わした仲間や同僚の何人かは、既に鬼籍に入っているような年齢なのだろう。自分だけがおめおめと生き続けていることが、ふと不思議になったりもする。思い出すという心の動きは、孤独感の反映だ。たとえ子供であっても、そうである。楽しかった新宿の夜。しかも思い出すほどに孤独感は余計に強まり、まだ生きている寂しさは募るばかりなのだが、思い出の魔はとりついたまま離れてくれない。「まだ生きて」は、そんな孤独地獄のありようを一言で提出した言葉だ。身につまされる。「俳句」(2007年2月号)所載。(清水哲男)




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