February 042007
春浅し引戸重たき母の家
小川濤美子
今年は暖冬ですが、暦の上では今日が立春、本日からが「春」です。掲句、季語は「春浅し」。まだまだ寒さの残る時期を指しています。「母の家」とありますが、たしかに実家といえば母親の姿が思い浮かびます。悲しいかな父親というのは、家の中では影の薄い存在です。この句を、まさにわが事のように感じる読者は多いだろうと思います。わたしの母も85歳で健在ですが、数年前までは元気に歩き回っていたものが、最近、急に足腰が弱ってきました。そういう日が来ることは当たり前であり、うろたえてはいけないとは思うものの、部屋の中での移動も難渋している様子を見るにつけ、たまらない思いを抱いてしまいます。実家は木造の、ごくありふれた作りの小さな家です。いつ行っても同じ匂いがします。何年たっても同じものが同じところに置いてあります。そのことにほっとするのです。引戸が重いのは、建付けの悪さから来ているものか、単に古くなったせいなのか。たしかに、マンションのサッシのように滑らかには動きません。がたんがたんと引戸に力を込める手は、容易に前に進もうとしません。その重さは、どこか、母の背負ってきた時間の重さのようにも感じられます。それでもやっと開け放てば、外は驚くほどの明るい日差しです。「お母さん、もうこんなに春の光ですよ」。『角川大歳時記 春』(2007・角川書店)所載。(松下育男)
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