February 062007
春立つや櫛ふところに野良着妻
蛯原方僊
髪は女の命という言葉があるように、いつの時代も女は髪を大切にし、また異性からはつややかな髪は豊かな魅力として見られてきた。女が櫛を使うとき、それは男が眺めるもっとも女性らしい姿であろう。妻がふところから櫛を取り出せば、そこにひとりの女性が現れる。それにしても、土にまみれた野良着姿である女に櫛が必要なのだろうか、と男はふと考える。「今さら髪を整えてどうするというのだ」と首を傾げる単純な気持ちと、着飾ることもなく働く妻への憐憫が交錯する。まだわずかに冷たさが残る、しかし確かに春の兆しを感じる日差しのなかで、妻の誰に見せるともないありふれた仕種に、長年連れ添った日々を振り返り、良き伴侶を持ち得た幸福に満たされる瞬間ではないだろうか。今日から春になるという立春の日。あらゆる四季の節目のなかで、もっとも待ちこがれる日を取り合わせたことで、しみじみとあたたかい句となった。わたしには、太陽の下でほつれた髪を整えるこの野良着の女性が、健やかな大地の女神にも思え、一枚の絵のように大切に胸にたたまれている。『頬杖』(2005)所収。(土肥あき子)
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