日中はコートを脱いで歩く人の姿も散見される東京です。まだ二月初旬、不気味です。(哲




2007ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0722007

 残寒やこの俺がこの俺が癌

                           江國 滋

の俳句には余計なコメントは差し控えるべきなのかもしれない。鑑賞やコメントなどというさかしらな振る舞いなどきっぱり拒絶して、寒の崖っぷちに突っ立っている句である。・・・・句集『癌め』には、癌を告知された平成9年2月6日から、辞世となった8月8日(死の2日前)の作「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」までが収められている。掲出句は、告知された2月6日から同月9日までに作られたうちの一句。「残寒や/この俺が/この俺が癌」とも「残寒や/この俺がこの俺が/癌」とも読める。前者は中七「この俺が」の次に「癌」は咄嗟には詠み淀んで溜め、最後にようやく打ち出された。後者の「この俺がこの俺が」という大きな字余りには、重大な告知をされた者ならではの万感がこめられているし、下五を字足らず「ガン」で止めた衝撃も、したたかで強烈。「残寒や・・・・」の句のすぐ前には「木の芽風癌他人事(ひとごと)と思ひしに」という句が置かれている。癌をはじめ難病に罹った者は、誰しも「他人事」と思っていただろうし、「選りによって、なぜ、この俺が・・・」という怒りに似た思いを禁じえない。さらに「残」と「寒」という字は苛烈な意味合いを孕むだけでなく、「ザン」「カン」という言葉は、切り立つような尖った響きを放って作者にも読者にも迫る。江國滋が俳句や落語、日本語などについて書いたものは毒がきいていて痛快だった。鷹羽狩行は「江國さんは、正義の味方であり、弱者の味方でした。正義の味方がエッセイとなり、弱者の味方が俳句となったのではないか」と指摘している。滋酔郎の俳号で東京やなぎ句会のメンバーでもあった。句集『癌め』(1997)所収。(八木忠栄)


February 0622007

 春立つや櫛ふところに野良着妻 

                           蛯原方僊

は女の命という言葉があるように、いつの時代も女は髪を大切にし、また異性からはつややかな髪は豊かな魅力として見られてきた。女が櫛を使うとき、それは男が眺めるもっとも女性らしい姿であろう。妻がふところから櫛を取り出せば、そこにひとりの女性が現れる。それにしても、土にまみれた野良着姿である女に櫛が必要なのだろうか、と男はふと考える。「今さら髪を整えてどうするというのだ」と首を傾げる単純な気持ちと、着飾ることもなく働く妻への憐憫が交錯する。まだわずかに冷たさが残る、しかし確かに春の兆しを感じる日差しのなかで、妻の誰に見せるともないありふれた仕種に、長年連れ添った日々を振り返り、良き伴侶を持ち得た幸福に満たされる瞬間ではないだろうか。今日から春になるという立春の日。あらゆる四季の節目のなかで、もっとも待ちこがれる日を取り合わせたことで、しみじみとあたたかい句となった。わたしには、太陽の下でほつれた髪を整えるこの野良着の女性が、健やかな大地の女神にも思え、一枚の絵のように大切に胸にたたまれている。『頬杖』(2005)所収。(土肥あき子)


February 0522007

 洞窟はモンシロチョウを放しけり

                           松原永名子

ンシロチョウは、まだ蛹(さなぎ)のままで冬眠中だろう。これがどこからともなくヒラヒラ舞い出てくると、春来たるの実感が湧く。この句、そのどこからかを「洞窟」からと特定したところが面白い。良いセンスだ。情景としては洞窟のあたりにモンシロチョウが飛んでいるだけなのだが、冬の間はじいっと洞窟が囲い込んでいたチョウを、陽気が良くなってきたのを見定めたかのように、「もう大丈夫だよ」と、ようやく表に放してやったと言うのである。このときに、洞窟は温情あふれる生き物と化している。真っ暗な空間が抱え込んでいた真っ白(厳密には斑点があるので純白とはちがうけれど)なモンシロチョウ。想像するだけで、この色彩の対比も鮮やかである。この対比が鮮やかだから、読者は句のどこにも書かれていない春の陽光の具合や洞窟周辺の草木や花々の色彩にまでイメージを膨らますことができるというわけだ。余談になるが、日本のモンシロチョウは奈良時代に、大根の栽培と共に移入されたと考えられているそうだ。ひょっとすると大昔には、本当にモンシロチョウは洞窟が放すものと思っていた人がいたかもしれない。俳誌「花組」(2006年・第31号)所載。(清水哲男)




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