February 122007
早春や藁一本に水曲がり
田中純子
作者がのぞき込んだのは、小川とも言えない細い水の流れだろう。道路に沿った排水溝(側溝)のようなところか。そこに藁しべが一本引っかかっていて、よく見ると、流れてきた水がその藁に沿って曲がって流れていると言うのだ。当たり前といえば、当たり前。まことにトリビアルな観察句だけれど、作者をしてこの句を生ましめた背景には、まことに大きな自然との交流がある。私にも覚えがあって、気候が温暖になってくると、人の目は自然と水に向うようだ。べつに風流心があったわけではないけれど、田舎での少年時代には、学校帰りにしばしば立ち止まって小川をのぞき込み、小さな魚影や蟹たちなどの動きに見惚れたものだった。冬の流れなんぞは、暗くて冷たそうで見向きもしなかったのに、猫柳が少しずつ膨らんでくるころになると、水を見るのが楽しくなってくるのである。これから日に日に暖かくなるぞという予感が、そうさせたのだと思う。揚句の作者もまた、春の足音に背中を押されるようにしてのぞき込んでいる。キラキラと光りながら流れている水が、ちっぽけな藁一本を迂回していく様子に、やがて訪れてくる陽春への期待感と喜びの気持ちを重ね合わせている。なんとはなしに、ほのぼのとしてくる一句だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
March 012007
早春の空より青き貨物船
岡本亜蘇
春先の明るい空よりもっと青い色の貨物船だ。普通に読めば、早春の貨物船を描写した句に思える。しかし、「〜より」を比較ではなく、経由を表す「〜から」の意味で読むと、光あふれる早春の空からまっさおな貨物船がふわふわ舞い降りる不思議な光景が出現する。波止場に横付けになった船の色を即物的に詠んだ句としてもすがすがしい春の季感が感じられるが、別の角度からの読みもまた面白い。貨物船は巨大な胴体に荷物を積んで運搬する船。瀟洒な客船に較べ図体も大きく動きも鈍い。そんな船が軽々と空を渡って岸壁に接岸するシーンを想像するだけで楽しい。生まれ育った神戸では校舎の屋上から、沖に停泊するタンカーが霞んで見えた。カメラを提げて波止場を走り回る少年達は、コンテナや泥臭い運搬船には眼もくれなかったが、紺の船体に赤のラインが入ったスマートなデザインの英国の貨物船は、純白の客船に劣らぬ人気を集めていた。今も神戸の埠頭に豪華客船は入港してくるけど、商船大学は廃止になり、街を闊歩する外国船員の姿も少なくなった。そうした現実を思うとき、青い貨物船と早春の空のみずみずしい取り合わせが、過ぎ去った海運の時代への郷愁をも引き寄せるように感じられる。『西の扉』(2005)所収。(三宅やよい)
March 312008
星条旗はしたしみやすし雨の花
秋元 潔
天沢退二郎さんから詩人による俳句同人誌「蜻蛉句帳」36号(2008年3月17日付)が送られてきた。この一月に亡くなった尾形亀之助研究でも知られた詩人・秋元潔の追悼号である。別刷り付録に秋元潔句集『海』(1966・限定20部)からの抄出句集が付いていて、揚句はそのなかからの作品だ。詩人がまだ、中学生のころの句かと思われる。年代で言えば、1951年あたりだろうか。51年は講和条約調印の年。戦後も六年しか経っていない。当時の作者は基地の街ヨコスカに住んでいたので、星条旗は日常的に見慣れた旗だった。句ではその旗を「したしみやすし」と言っているが、この感情は戦中日本の初等教育を受けた者には、ごく自然なものだったのだろう。何に比べてしたしみやすかったのかと言うと、むろん日章旗に比べてである。アメリカの占領軍を解放軍ととらえた人たちも多かった時代だ。堅苦しく軍国主義的に育てられてきた少国民にとっては、彼らの自由さ奔放さはひどく眩しく見えたに違いないし、憧れもしただろうし、その象徴としての星条旗にしたしみを覚えた気持ちに嘘はないはずである。したがって、この句は文句なしのアメリカ讃歌であり憧憬歌であり、あれから半世紀を経た今にして読むと、その素朴な心情には微笑を誘われると同時に、しかしどこか痛ましい傷跡のようにも思われてくる。「雨の花」とは写生的なそれであるのは間違いないにしても、私にはなんだか少年・秋元潔の存在そのものでもあったように感じられてくるのを止めることができない。またこの句は上手とか下手とか言う前に、一つの時代の少年の素朴で自然な感情を詠んでいるという意味で貴重な記録となっている。他にも「早春はアメリカ国歌口ずさむ」「 WELCOME赤き文字なり風光る」など。(清水哲男)
February 162013
早春や目つむりゐても水光り
越後貫登志子
早春と浅春の違いが話題になった。季感はほとんど同じなので、あとは感覚の違いということだったが、浅春は、春浅し、で立っておりたいてい、浅き春、春浅し、と使われる。浅き春は、春まだ浅いということでやや心情的、言葉として早春よりやわらかい、などなど。確かに個々の感覚なのかもしれないが、この句に詠まれている水のきらめきは、まさに早春のものだろう。風に冷たさが残っていても、そこに春が来ていることを感じさせてくれる。耀く水面を見ていた作者、目を閉じてもその奥にまだ春光が残っている。この句の隣に〈早春の馬梳かれつつ日に眠る〉(小池奇杖)とあり、春は空から日ざしから、と言うけれどほんとうだな、とあらためて思うのだった。『草田男季寄せ 春・夏』(1985)所載。(今井肖子)
April 022014
掃除機を掛けつつ歌ふ早春賦
美濃部治子
治子は十代目金原亭馬生の奥さん。つまり女優池波志乃の母親である。いい陽気になってきて部屋の窓を開け放ち、掃除機を掛ける主婦の心も自然にはずんで、春の歌が口をついて出てくる。♪春は名のみの風の寒さや/谷のうぐいす歌は思えど……。掃除をしながら歌が口をついて出てくるのも、春なればこそであろう。大正2年、吉丸一昌作詩、中田章作曲によるよく知られた唱歌である。治子は昭和6年生まれの主婦だから、今どきのちゃらちゃらした歌はうたわなかったかもしれない。考えてみれば、落語家の家のことだから、掃除は弟子たちがやりそうなものだが、馬生夫婦は弟子たちには、落語家としての修業のための用しかさせないという主義だった。だから家のことはあまりやらせなかったというから、奥さんが洗濯や掃除をみずからしていたのだろう。志乃さんがそのことを証言している。いかにも心やさしかった馬生らしい考え方、と納得できる。治子は黒田杏子の「藍生」に拠っていたが、平成18年に75歳で亡くなった。春の句に「職業欄無に丸をして春寒し」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)
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