February 122007
早春や藁一本に水曲がり
田中純子
作者がのぞき込んだのは、小川とも言えない細い水の流れだろう。道路に沿った排水溝(側溝)のようなところか。そこに藁しべが一本引っかかっていて、よく見ると、流れてきた水がその藁に沿って曲がって流れていると言うのだ。当たり前といえば、当たり前。まことにトリビアルな観察句だけれど、作者をしてこの句を生ましめた背景には、まことに大きな自然との交流がある。私にも覚えがあって、気候が温暖になってくると、人の目は自然と水に向うようだ。べつに風流心があったわけではないけれど、田舎での少年時代には、学校帰りにしばしば立ち止まって小川をのぞき込み、小さな魚影や蟹たちなどの動きに見惚れたものだった。冬の流れなんぞは、暗くて冷たそうで見向きもしなかったのに、猫柳が少しずつ膨らんでくるころになると、水を見るのが楽しくなってくるのである。これから日に日に暖かくなるぞという予感が、そうさせたのだと思う。揚句の作者もまた、春の足音に背中を押されるようにしてのぞき込んでいる。キラキラと光りながら流れている水が、ちっぽけな藁一本を迂回していく様子に、やがて訪れてくる陽春への期待感と喜びの気持ちを重ね合わせている。なんとはなしに、ほのぼのとしてくる一句だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
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