「吟行」で検索をかけたら「『銀行』ではないですか」と来た。風流味のない奴めが。(哲




2007ソスN2ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1222007

 早春や藁一本に水曲がり

                           田中純子

者がのぞき込んだのは、小川とも言えない細い水の流れだろう。道路に沿った排水溝(側溝)のようなところか。そこに藁しべが一本引っかかっていて、よく見ると、流れてきた水がその藁に沿って曲がって流れていると言うのだ。当たり前といえば、当たり前。まことにトリビアルな観察句だけれど、作者をしてこの句を生ましめた背景には、まことに大きな自然との交流がある。私にも覚えがあって、気候が温暖になってくると、人の目は自然と水に向うようだ。べつに風流心があったわけではないけれど、田舎での少年時代には、学校帰りにしばしば立ち止まって小川をのぞき込み、小さな魚影や蟹たちなどの動きに見惚れたものだった。冬の流れなんぞは、暗くて冷たそうで見向きもしなかったのに、猫柳が少しずつ膨らんでくるころになると、水を見るのが楽しくなってくるのである。これから日に日に暖かくなるぞという予感が、そうさせたのだと思う。揚句の作者もまた、春の足音に背中を押されるようにしてのぞき込んでいる。キラキラと光りながら流れている水が、ちっぽけな藁一本を迂回していく様子に、やがて訪れてくる陽春への期待感と喜びの気持ちを重ね合わせている。なんとはなしに、ほのぼのとしてくる一句だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


February 1122007

 豆腐屋の笛もて建国の日の暮るる

                           岡崎光魚

和をノスタルジーの対象にする最近の風潮には、多少の抵抗があります。しかし、気がつけばわたしも昭和を、懐かしく思い出していることがあります。掲句、「豆腐屋の笛」という言葉を目にして、そういえば昔、そんな音を聞いたことがあったなと思いました。あの、どこか気の抜けた金属的な音が、耳の奥で蘇ります。当時の家は、今ほど密閉性にすぐれていませんから、家の中にいても道端の音がはっきりと聞こえてきました。笛の音と、「とーふぃー」という間延びのした声を聞くと、割烹着すがたの母親が鍋をかかえて外に急いだものです。たしかに当時の家は、今よりもずっと外と緊密につながっていました。扉も今のようにいくつも鍵がかけられていたわけではありません。外部というのは、必ずしも防ぎとめる対象ではありませんでした。時に「さおだけー」だったり「いしやきいもー」だったり、ラーメンのチャルメラだったり、家の玄関の延長のような場所で、物売りがのんびりと通り過ぎたものです。今日の句を読んで真っ先に目に浮かんだのは、昭和の懐かしい風景でした。道端を通り過ぎる豆腐屋の向こうの、広々とした原っぱに夕日が沈もうとしています。そんな懐かしさの只中に、「建国」という重い言葉が置かれています。しかし、神武天皇がその昔即位した日にしろ、一日はただの一日です。市井の人々にとっては、国を作ることよりも切実な出来事があり、その日もいつもと変わらずに、豆腐屋の笛を合図に、何事もなく暮れてゆくのです。『角川大歳時記 春』(2007・角川書店)所載。(松下育男)


February 1022007

 鶯や白黒の鍵楽を秘む

                           池内友次郎

楽をするのだから俳句を作ってみたらどうか、と虚子に言われ何となく作り始めた、と次男友次郎は述懐している。渡仏をひかえた二十歳頃のことだ。調べ、リズムが俳句の大切な要素の一つであるのもさることながら、友次郎のユニークな感覚が生む句を見たかったのだろう。この句は、友次郎三十一歳、パリ留学から帰ったばかりの頃の作。音楽の仕事の合間に自然に生まれてきた句ということなので、白黒(びゃっこく)の鍵はピアノの鍵盤。溢れ出るイメージが指を動かし、鍵盤にふれることでそれが音になり耳からまた体内へ。そんな風に彼の音楽が生まれている時、ふと鶯が鳴いたのだ。誰が作ったわけでもない自然の、春を告げる澄んだ音色。手を休めて、しばらく鶯の声を聴いていたのではないか。そして目の前のピアノをぼんやり見つめるうちに、まるで鶯の声に誘われるように、彼の中でまた音楽が生まれ始めたことだろう。「楽」を秘めているのは友次郎自身であり、ピアノを詠んでいながら、聞こえるのは鮮やかな鶯の声である。音楽家らしい一句だが、戦後本業が忙しくなったこともあり、俳句から遠ざかっていく。そんな友次郎に虚子が、「おまえはかなりな句を作っていたのに何故このごろ作らなくなったのか」と言い、「あなたのような人を父としたから句を作る気にならなくなった」と答えると、「悪かったですね」と笑った、との述懐もある句集『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)




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