オリックスの清原が毎春恒例(失礼)の故障。身体に負荷をかけすぎている印象。(哲




2007ソスN2ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2022007

 菜の花や象と生まれて芸ひとつ

                           佐藤博美

大な身体を持ちながら従順に命令に従う象の芸は、賢さや器用さを思うより、いいようのない切なさを伴うものだ。さらに戦争中の1943年、逃走したら危険という理由で餓死させられた上野動物園の象が最後まで芸を繰り返したという実話も重なり、異国の地に連れてこられた動物たちの哀れな運命に思いを馳せる。涅槃図に描かれる白象ではなく、人々は一体いつ実物の象という動物を目にしたのだろうかと思い調べてみると、1728年8代将軍吉宗が注文した5才のメスと7才のオスの2頭の象がベトナムから長崎に到着していた。船旅の疲れが祟ったのか、メス象は3カ月ほどで死んでしまうが、オス象と象使いたち一行は江戸を目指し、一日に3里から5里のペースで陸路をたどったという。京都御所謁見の際「広南従四位白象」という位まで頂戴した象さまをひと目見ようと、道中の熱狂の人垣はいかばかりかと想像するが、象の方は街道の人々に愛嬌を振りまいて穏やかに歩を進めていたようだ。オス象は10年ほど浜離宮で飼育され、吉宗は時折江戸城に召し出したというが、その後は中野の農夫に払い下げられ見世物とされ、数カ月後の真冬の12月に病死している。象の寿命が70年余りだと考えると、享年21才という年齢は短いものだろうが、伴侶もなくたった一頭で繰り返す四季はあまりに長く悲しい歳月だったことだろう。掲句の菜の花の屈託のない黄色が、ひときわ印象的な色彩となって胸に灯る。『空のかたち』(2006)所収。(土肥あき子)


February 1922007

 手に受けて少し戻して雛あられ

                           鷹羽狩行

誌にこの作者の句が載っていると、必ず真っ先に読む。何でもないような些事をつかまえる名手ということもあるが、単に巧いというだけではなく、句の底にはいつも暖かいものが流れていて、そこにいちばん魅かれているからだ。とくに心弱い日には、大いに癒される。揚句でも、まさに何でもない所作を詠んでいるだけだが、作句の心根がとても優しく温かい。雛あられを受けるときには、自然に両掌を差し出す。こぼしてはいけないという配慮の気持ちもあるのだけれど、そこには同時に人から物をいただくときの礼儀の気持ちが込められている。すると領け手の側は、その礼儀に応えるようにして、これまた自然な気持ちから両掌いっぱいに雛あられを注ぐのである。そういうことは句のどこにも書かれてはいないが、「少し戻して」という表現から、読者はあらためてこの日常的な礼節の交感に気づかされ、そこに何とも言えない暖かさを感じ取るというわけだ。ひとつも拵え物の感じがしない、こねくりまわしていない。けれども、人のさりげない所作の美しさにまで、きちんと錘がおりている。天賦のセンスの良さがそうさせたのだと言うしか、ないだろう。掲載誌より、もう一句。<まんさくの一つ一つの片結び>。「俳句研究」(2007年3月号)所載。(清水哲男)


February 1822007

 春一番今日は昨日の種明かし

                           上田日差子

でに先週の水曜日に、春一番が吹いた地域も多いかと思います。季語はもちろん「春一番」。立春を過ぎてから初めて吹く強い南寄の風のこと、と手元の歳時記にはあります。「一番」という言い方が自信に満ちていて、明るい方向へ向かう意思が感じられます。春になり、日に日に暖かくなってゆくこの季節に、種明かしされるものとは、命の源であるのでしょうか。「種明かし」という語が本来持っている意味よりも、「種」と「明かす」という語に分ければ、未来へ伸びやかに広がり続けるイメージがわいてきます。昨日蒔かれた種の理由が、今日あきらかにされます。次々と花ひらく今日という日を、わたしたちは毎年この季節に、驚きをもって迎えいれます。「風」も「時」も、こころなしかその歩みをはやめてゆくようです。その歩みに負けじと歩き出すと、顔に心地よく「春一番」がぶつかってきます。余韻をもった句や、潜められた意味を持った句も魅力的ではありますが、この句のように隅々まで明るく、意味の明快な句は、それはそれで堂々としていて、わたしは好きです。よけいなことながら、作者の名からも、あたたかな日が差し込んでくるようです。『現代歳時記』(1998・成星出版)所載。(松下育男)




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