今日二日が高校の卒業式だったような記憶。あれから半世紀の歳月が流れたのか。(哲




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March 0232007

 探梅の一壺酒われら明治つ子

                           佐野まもる

を持って梅見に行った明治生まれの私たち。という句である。表現上特段に「見せ場」が無さそうに思えるが、やっぱりこんな句が句会で出たら採ってしまうだろうな。一壺酒(いっこしゅ)という言い方が漢詩調であり、どこか品格を添える。明治っ子という言い方が現代から見れば新鮮で面白い。明治っ子、大正っ子、昭和っ子。元号で世代意識を区切るのは無理として、それでも、価値観のブレなかった時代には、それなりの統一的気風のようなものが生まれる。明治から昭和一桁は世界の強国日本だったから、「万里の長城で小便すればゴビの沙漠に虹が立つ」なんてスケールの意識。大東亜戦争中の軍歌に「ホワイトハウスに日の丸立てて」なんてのもあったらしいが、こうなるともう悲惨な強がりをヤケになって歌っている感じだ。僕の父は大正八年生まれ、見習士官で終戦。大日本帝国の残滓を齧って青年期に入った分、価値観の転換に対するショックも大きい。懐疑派というと内面的なようだが、いじめられた記憶が消せない檻の中の狸のような目線で外を見ていた。和魂洋才、車夫馬丁、帝国大学、天下国家、重工業、信義、信念、倫理、遊郭、男尊女卑、家、士族、平民、天皇。明治生まれのダンディズムはそんな言葉の上に立って一壺酒を携え梅の花を見上げる。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)


March 0132007

 早春の空より青き貨物船

                           岡本亜蘇

先の明るい空よりもっと青い色の貨物船だ。普通に読めば、早春の貨物船を描写した句に思える。しかし、「〜より」を比較ではなく、経由を表す「〜から」の意味で読むと、光あふれる早春の空からまっさおな貨物船がふわふわ舞い降りる不思議な光景が出現する。波止場に横付けになった船の色を即物的に詠んだ句としてもすがすがしい春の季感が感じられるが、別の角度からの読みもまた面白い。貨物船は巨大な胴体に荷物を積んで運搬する船。瀟洒な客船に較べ図体も大きく動きも鈍い。そんな船が軽々と空を渡って岸壁に接岸するシーンを想像するだけで楽しい。生まれ育った神戸では校舎の屋上から、沖に停泊するタンカーが霞んで見えた。カメラを提げて波止場を走り回る少年達は、コンテナや泥臭い運搬船には眼もくれなかったが、紺の船体に赤のラインが入ったスマートなデザインの英国の貨物船は、純白の客船に劣らぬ人気を集めていた。今も神戸の埠頭に豪華客船は入港してくるけど、商船大学は廃止になり、街を闊歩する外国船員の姿も少なくなった。そうした現実を思うとき、青い貨物船と早春の空のみずみずしい取り合わせが、過ぎ去った海運の時代への郷愁をも引き寄せるように感じられる。『西の扉』(2005)所収。(三宅やよい)


February 2822007

 老猫のひるね哀れや二月尽

                           網野 菊

間も高齢になると、ほとんど終日寝ていることが多いようだ。寝足りないわけではないのだろうが、昼となく夜となく睡眠状態がつづく。(八十八歳になる私の母などは「眠れない」と嘆きながらも、けっこう寝入っていたりする。)「猫」は「寝る子」からきたとも言われるけれど、たしかに猫は寸暇を惜しむがごとくのべつ寝ている。まして老猫ともなれば、なおのこと。猫は夜に鼠の番をするために昼は寝ているのだ、と祖父が子供の私にまことしやかに教えてくれたことがあった。では、鼠の番をする必要のない今どきの猫は寝る必要はあるまい。赤ちゃんの昼寝も仔猫の昼寝も、手放しで可愛いけれど、老人や老猫の昼寝は可愛いというよりも、どこかしら哀れが漂う。しかも二月の終わりである。それとなく春の気配が感じられ、日も長くなってきているとはいえ、「老」「哀」「尽」の並びが感慨ひとしおである。猫は二月尽も三月尽も関係なく昼寝をしているわけだし、それを「哀れ」とか「可愛い」とか受けとめるのは人間の勝手だが、老猫の姿にことさら「哀れ」を濃く感じて、作者は「二月尽」と取り合わせてみせた。春先ゆえの「哀れ」である。若い人は、網野菊という女流作家をあまりご存じないだろう。志賀直哉に師事した私小説作家で、もう三十年前に亡くなった。「クリンとしたおばあちゃん」といった印象を私は遠くから抱いていた。結婚生活は幸せではなかった。彼女の「ガラス戸に稲妻しきり独り居る」という句も、どこやら淋しそうだ。女流作家で俳句を作ったのは、他に岡本かの子、円地文子、中里恒子、ほか何人もいる。なかでも吉屋信子は本格的に俳句修業をした。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)




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