馬鹿陽気のつづいた東京だが、また冷え込んでくるそうな。桜も戸惑ってるだろう。(哲




2007ソスN3ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0632007

 美と言ひしままの唇雛かな

                           石母田星人

く片付けないとお嫁に行けなくなる、などというナンセンスな理由が現在もまかり通り、早めに出され早々に仕舞われる雛人形であるが、最近は立春に飾り、啓蟄の本日片付けることが多いそうだ。さらに忠実なる場合には、この日に手が付けられない場合には、雛人形たちを後ろ向きにすると、「眠られた」「お帰りになった」という意味を持ち、片付けたことと同様になるのだというが、全員後ろ向きの雛壇とは、さながらホラー映画を思わせる光景であろう。もともと、雛人形という時代がかった姿かたちは、日常とは全く別次元の美しさであることから、そこにはわずかな恐ろしさも含んでいる。人形の唇がうっすらと開いており、そこに米粒よりちいさな白い歯が並んでいることに気づいたのは、ずいぶん小さな時分であったが、そのとき可愛らしいとは対極のはっきりとした恐怖を感じたことを覚えている。確かに口元は掲句の通り「び」という形である。濃い紅に塗られた唇が、口角をひょいと上げ「び」と言いかけた形で固まっている。多くの家庭で今年のお役目が終わり、来年の立春まで、長く暗闇のなかでふたたび暮らす雛人形たち。てんでに納戸の隅に積まれた木箱のなかで、薄紙に包まれて何かを呟いているのだと思うと、それはふと「さびしい」の「び」なのかもしれない、と思うのだ。『濫觴』(2004)所収。(土肥あき子)


March 0532007

 なつかしき春風と会ふお茶の水

                           横坂堅二

までは中央大学の移転などにより、昔に比べると数はだいぶ減っているはずだが、それでも依然として「お茶の水」は学生の街だ。近辺には明治大学があり、少し離れてはいるが東京大学にも近い。この駅に降りるたびに、渋谷などとは違った若者たちの健康的な息吹を感じる。所用でお茶の水に降り立った作者は、かつてこの街の学生の一人だったのだ。折から心地よい春の風が吹いていて、神田川に反射している陽光もまぶしい。あたりには、大勢の学生が歩いている。そんな街の雰囲気に誘われるようにして、作者が自然に「なつかしく」思い出しているのは、当時の春の受験や入学のころのあれこれだろう。はじめての都会生活に日々緊張しながらも、大いに張り切って通学していた初心のころのことども……。地味な句だけれど、共感する人は多いはずだ。私は京都の学生だったが、京都にはお茶の水のように、いろいろな大学の学生がいつも雑多に混在しているような街はない。だから揚句の「お茶の水」を、百万遍や京都御所、あるいは荒神口だのと置き替えてみてもどこか間が抜けてしまう。やはりこの句は、街が「お茶の水」だからこそ生きているのだと思った。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


March 0432007

 巻き込んで卒業証書はや古ぶ

                           福永耕二

のめぐり合わせで、わたしは卒業式というものにあまり縁がありません。高校の卒業式は、式半ばで答辞を読む生徒(わたしの親友でした)が、「このような形式だけの式典をわれわれは拒否します」と声高々と読み上げ、舞台に多くの生徒がなだれ込み、そのまま式は中止になりました。時代は七十年安保をむかえようとしていました。そののち大学にはいったものの、連日のバリケード封鎖で、構内で勉強する時間もろくに持たないまま4年生になり、当然のことながら卒業式はありませんでした。学部の事務所へ行って、学生証を見せ、食券を受け取るように卒業証書をもらいました。実に、悲しくなるほどに簡単な儀式でした。式辞も、答辞もありません。高らかに鳴るピアノの音もありません。窓から見える大きな空もありません。薄暗い事務室で、学部事務員と会話を交わすこともなく、卒業証書を巻き込んで筒に入れて、そそくさと高田馬場駅行きのバスに乗り込みました。後に考えればその当時は、時代そのものの卒業であったのかもしれません。掲句、わたしの場合とは違い、卒業証書には、きれいに込められた思いがあるようです。証書はきつく巻き込むことによって、すでに細かな皺がよります。皺がよったのは証書だけではなく、それまでの日々でもあります。卒業した身を待っているのは、筒の中とはあきらかに違う世界です。「古ぶ」と、決然と言い放つことによって、これからの時間がさらにまぶしく、磨かれてゆくようです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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