11年7月のアナログ放送終了で、ごみとなるテレビは最大6465万台。アホな話や。(哲




2007ソスN3ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0732007

 色町や真昼しづかに猫の恋

                           永井荷風

風と色町は切り離すことができない。色町へ足繁くかよった者がとらえた真昼の深い静けさ。夜の脂粉ただよう活況にはまだ間があり、嵐(?)の前の静けさのごとく寝ぼけている町を徘徊していて、ふと、猫のさかる声が聞こえてきたのだろう。さかる猫の声の激しさはただごとではない。雄同士が争う声もこれまたすさまじい。色町の真昼時の恋する猫たちの時ならぬ争闘は、同じ町で今夜も人間たちが、ひそかにくりひろげる〈恋〉の熱い闘いの図を予兆するものでもある。正岡子規に「おそろしや石垣崩す猫の恋」という凄い句があるが、「そんなオーバーな!」と言い切ることはできない。永田耕衣には「恋猫の恋する猫で押し通す」という名句がある。祖父も曽祖父も俳人だった荷風は、二十歳のとき、俳句回覧紙「翠風集」に初めて俳句を発表した。そして生涯に七百句ほどを遺したと言われる。唯一の句集『荷風句集』(1948)がある。「当世風の新派俳句よりは俳諧古句の風流を慕い、江戸情趣の名残を終生追いもとめた荷風の句はたしかに古風、遊俳にひとしい自分流だった」(加藤郁乎『市井風流』)という評言は納得がいく。「行春やゆるむ鼻緒の日和下駄」「葉ざくらや人に知られぬ昼あそび」――荷風らしい、としか言いようのない春の秀句である。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


March 0632007

 美と言ひしままの唇雛かな

                           石母田星人

く片付けないとお嫁に行けなくなる、などというナンセンスな理由が現在もまかり通り、早めに出され早々に仕舞われる雛人形であるが、最近は立春に飾り、啓蟄の本日片付けることが多いそうだ。さらに忠実なる場合には、この日に手が付けられない場合には、雛人形たちを後ろ向きにすると、「眠られた」「お帰りになった」という意味を持ち、片付けたことと同様になるのだというが、全員後ろ向きの雛壇とは、さながらホラー映画を思わせる光景であろう。もともと、雛人形という時代がかった姿かたちは、日常とは全く別次元の美しさであることから、そこにはわずかな恐ろしさも含んでいる。人形の唇がうっすらと開いており、そこに米粒よりちいさな白い歯が並んでいることに気づいたのは、ずいぶん小さな時分であったが、そのとき可愛らしいとは対極のはっきりとした恐怖を感じたことを覚えている。確かに口元は掲句の通り「び」という形である。濃い紅に塗られた唇が、口角をひょいと上げ「び」と言いかけた形で固まっている。多くの家庭で今年のお役目が終わり、来年の立春まで、長く暗闇のなかでふたたび暮らす雛人形たち。てんでに納戸の隅に積まれた木箱のなかで、薄紙に包まれて何かを呟いているのだと思うと、それはふと「さびしい」の「び」なのかもしれない、と思うのだ。『濫觴』(2004)所収。(土肥あき子)


March 0532007

 なつかしき春風と会ふお茶の水

                           横坂堅二

までは中央大学の移転などにより、昔に比べると数はだいぶ減っているはずだが、それでも依然として「お茶の水」は学生の街だ。近辺には明治大学があり、少し離れてはいるが東京大学にも近い。この駅に降りるたびに、渋谷などとは違った若者たちの健康的な息吹を感じる。所用でお茶の水に降り立った作者は、かつてこの街の学生の一人だったのだ。折から心地よい春の風が吹いていて、神田川に反射している陽光もまぶしい。あたりには、大勢の学生が歩いている。そんな街の雰囲気に誘われるようにして、作者が自然に「なつかしく」思い出しているのは、当時の春の受験や入学のころのあれこれだろう。はじめての都会生活に日々緊張しながらも、大いに張り切って通学していた初心のころのことども……。地味な句だけれど、共感する人は多いはずだ。私は京都の学生だったが、京都にはお茶の水のように、いろいろな大学の学生がいつも雑多に混在しているような街はない。だから揚句の「お茶の水」を、百万遍や京都御所、あるいは荒神口だのと置き替えてみてもどこか間が抜けてしまう。やはりこの句は、街が「お茶の水」だからこそ生きているのだと思った。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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