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March 0732007

 色町や真昼しづかに猫の恋

                           永井荷風

風と色町は切り離すことができない。色町へ足繁くかよった者がとらえた真昼の深い静けさ。夜の脂粉ただよう活況にはまだ間があり、嵐(?)の前の静けさのごとく寝ぼけている町を徘徊していて、ふと、猫のさかる声が聞こえてきたのだろう。さかる猫の声の激しさはただごとではない。雄同士が争う声もこれまたすさまじい。色町の真昼時の恋する猫たちの時ならぬ争闘は、同じ町で今夜も人間たちが、ひそかにくりひろげる〈恋〉の熱い闘いの図を予兆するものでもある。正岡子規に「おそろしや石垣崩す猫の恋」という凄い句があるが、「そんなオーバーな!」と言い切ることはできない。永田耕衣には「恋猫の恋する猫で押し通す」という名句がある。祖父も曽祖父も俳人だった荷風は、二十歳のとき、俳句回覧紙「翠風集」に初めて俳句を発表した。そして生涯に七百句ほどを遺したと言われる。唯一の句集『荷風句集』(1948)がある。「当世風の新派俳句よりは俳諧古句の風流を慕い、江戸情趣の名残を終生追いもとめた荷風の句はたしかに古風、遊俳にひとしい自分流だった」(加藤郁乎『市井風流』)という評言は納得がいく。「行春やゆるむ鼻緒の日和下駄」「葉ざくらや人に知られぬ昼あそび」――荷風らしい、としか言いようのない春の秀句である。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


December 26122007

 下駄買うて箪笥の上や年の暮

                           永井荷風

や、こんな光景はどこにも見られなくなったと言っていい。新年を迎える、あるいはお祭りを前にしたときには、大人も子供も新しい下駄をおろしてはくといった風習があった。私たちが今、おニューの靴を買ってはくとき以上に、新しい下駄をおろしてはくときの、あの心のときめきはとても大きかったような気がする。だって、モノのなかった当時、下駄はちびるまではいてはいてはき尽くしたのだもの。そのような下駄を、落語のほうでは「地びたに鼻緒をすげたような・・・」と、うまい表現をする。私の地方では「ぺっちゃら下駄」と呼んでいた。♪雨が降るのにぺっちゃら下駄はいて・・・と、ガキどもは囃したてた。さて、「日和下駄」で知られる荷風である。新年を前に買い求めた真新しい下駄を箪笥の上に置いて眺めながら、それをはきだす正月を指折りかぞえているのだろう。勘ぐれば、同居している女の下駄であるかもしれない。ともかく、まだはいてはいない下駄の新鮮な感触までも、足裏に感じられそうな句である。下駄と箪笥の取り合わせ。買ったばかりの下駄を、箪笥の上に置いておくといった光景も、失われて久しい。その下駄をはいてぶらつくあらたまの下町のあちこち、あるいは訪ねて行くいい人を、荷風先生にんまりしながら思い浮かべているのかもしれない。あわただしい年の暮に、ふっと静かな時間がここには流れている。「行年に見残す夢もなかりけり」も荷風らしい一句である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 1352009

 深川や低き家並のさつき空

                           永井荷風

五「深川や」のすべり出しで、下町の景色がパノラマのように広がる。もちろんノッポやデブの建物などない時代、かつての下町風景である。しかも五月晴れの空が果てしなく広がっている。初夏の空気はどこまでも澄んでいただろうし、時間もゆったり刻まれていたことだろう。五月晴れの空の下に、肩寄せ合っている「低き家並(やなみ)」がうれしい。そこに慎ましい日々を、マメに営む人々の姿も見えてくるようだ。「さつき」は「早苗月」の略とするのが一般的だそうである。江東区深川は下町の代表とされる。地名のおこりは、江東の湿地帯を開拓した深川八郎右衛門にちなんでいるとか。隅田川と荒川にはさまれて、運河や小さな川などが縦横に走る一帯である。小石川生まれの荷風が好んで浅草や深川あたりを逍遥し、数々の名作や日記を残したことは改めて記すまでもない。さつきを詠んだ荷風の句に「青梅の屋根打つ音や五月寒」がある。風景の広がりを詠んだ掲出句に対し、こちらの句は音を詠んでいる。今年は荷風没後五十年。好んで郊外を散歩したわけを、荷風は「平生、胸底に往来している感想によく調和する風景を求めて、瞬間の慰謝にしたいため」と書き残している。『荷風句集』(1948)所収。(八木忠栄)


September 0292009

 稲妻や白き茶わんに白き飯

                           吉川英治

がみのる肝腎な時季に多いのが稲妻(稲光)である。「稲の夫(つま)」の意だと言われる。稲妻がまさか稲をみのらせるわけではあるまいが、雷が多い年は豊作だとも言われる。科学的根拠があるかどうかは詳らかにしない。しかし、稲妻・稲光・雷・雷鳴……これらは一般的に好かれるものではないが、地上では逃がれようがない。稲妻を色彩にたとえるならば、光だからやはり白だろうか。その白と茶わんの白、飯の白が執拗に三つ重ねになっている。しかも、そこには鋭い光の動きも加わっている。中七・下五にはあえて特別な技巧はなく、ありのままの描写だが、むしろ「白」のもつ飾らないありのままの輝きがパワーを発揮している。外では稲妻が盛んに走っているのかもしれないが、食卓では白い茶わんに白いご飯をよそってただ黙々と食べるだけ、という時間がそこにある。ようやく「白き飯」にありつけた戦後の一光景、とまで読みこむ必要はあるまい。特別に何事か構えることなく、しっかり詠いきっている句である。橋本多佳子のかの「いなびかり北よりすれば北を見る」は、あまりにもよく知られているけれど、永井荷風には「稲妻や世をすねて住む竹の奥」という、いかにもと納得できる句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2542012

 はるさめに昼の廓を通りけり

                           永井荷風

風は花街や廓を舞台にした俳句を、どれくらいの数詠んだのだろうか。掲句は二十代に詠まれたもの。荷風は二十歳から七十四歳になるまで、本格的に俳句を作った(亡くなったのは七十九歳)。静かにしとしとしっとり晩春に降りつづけるのが春雨とされる。月形半平太ではないが、春雨は濡れてもあまり気にならない。どこかしら滝田ゆうの寺島町を舞台にした漫画が想起される俳句だが、若いときの作であるだけに、昼の静けさのなかにも生気がひそんでいるように感じられる。昼の廓だから、夜の喧噪と対照的にまだ寝ぼけていて、路上は信じられないほどにしんと静まり返っているのだろう。おっとりとぼやけた春雨と解釈するか、すべてを洗い流す恨みの春雨と解釈するか――。残念ながら、遅れて来た当方に登楼の経験はないが、花街へやって来る客は、通りからのぞいて冷やかして行くだけ(「ぞめき」と呼ばれた)の客が大半だったという。落語の傑作に「二階ぞめき」という噺がある。惚れた花魁がいるというのではなく、ぞめきが大好きで吉原通いがやめられない大店の若旦那のために、それではとおやじが家の二階に吉原そっくりの街を造った。若旦那がそこ(二階)へ出かけて冷やかして歩くという奇想天外な傑作である。自宅の二階ならば昼も夜もあるまい。荷風には「はる雨に灯ともす船や橋の下」もある。磯辺勝『巨人たちの俳句』(2010)所載。(八木忠栄)


September 3092015

 蚊帳の穴むすびむすびて九月哉

                           永井荷風

月も今日で終りである。「蚊帳」は夏の季語だが、ここでは「九月哉」で秋。かつて下町では蚊が特に多いから、九月になってもまだ蚊帳を吊っていたのだろう。今はもう蚊帳というものは、下町でも見られなくなったのではないか。私などはいなかで子どものころ、夏は毎晩寝部屋の蚊帳吊りをさせられたっけ。木綿の重たい蚊帳だった。掲出句は荷風の「濹東綺譚」のなかに八句あげられている蚊の句のうちの一句。他に「残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ」がならぶ。「溝(どぶ)の蚊の唸る声は今日に在つても隅田川を東に渡つて行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌つてゐる」と書いて、八句が「旧作」として掲げられている。ここでの「場末の町」は寺島町をさしている。「家中にわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込まうとする」とも書かれている。「わめく蚊の群」は、すさまじい。「むすびむすびて」だから、蚊帳の破れは一つだけではなく幾つもあるのだ。そんな破れ蚊帳で今年の夏は過ごしたことよ。ーーそんな町があり、時代があった。『現代日本文學大系24・永井荷風集(二)』(1971)所載。(八木忠栄)




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