東京大空襲はB-29爆撃機325機による爆撃だった。一晩で10万人以上の死者。合掌。




2007ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032007

 古稀といふ春風にをる齢かな

                           富安風生

が子供の頃、二十一世紀は未来の代名詞だった。2003年生まれの鉄腕アトムに夢中になり、ある日ふと、その頃自分は何歳なんだろう、とそっと引き算してみると、2003−1954=49。四十九歳、親の年齢を上回る自分の姿を想像することは難しく、その遠い未来に漠然と不安を覚えた記憶がある。思えば、老いることを初めて意識した瞬間。ひたすら今を生きていた小学生の頃のことだ。「わたしの作品に“老”が出はじめたのは、長い俳歴のいつごろであったか。」雑文集『冬うらら』(富安風生著)のあとがきは、この一文で始まっている。作者は、まだ老の句を詠むには早すぎる頃から、「人間の、自分自身の、まだ遠い先の老ということに、趣味的な(といってもいいであろう)関心を抱いて」概念的な老の句を作っては、独り愉しんだり淋しがったりしていたという。「人生七十古来稀」を由来とする古稀は、最も古くからある長寿の賀である。そして、古稀を迎えてからは、それまで遊びであった老の句に実感が伴うようになり、「おのずからため息の匂いを帯びてきた。」のだと。春風にをる、の中七は、泰然自若、悠々と達観した印象を与える。しかし、老が思いの外実感となって来たことに対する、かすかな戸惑いをさらりと詠みたい、という心持ちも働いているのではないか。それは、人間的で正直な心持ちと思う。「この世に“思い残すことはない”などと語る人の言葉をきくと、何かそらぞらしく、ウソをついているなと思えてならんのです。(中略)自分自身のために、死ぬるまで、明日を待ち楽しむ気持で、一日一日の命を大事にしたいというだけの事です。」昭和五十四年、九十三歳で天寿を全うされた作者八十一歳の時の言葉である。引用も含めて『冬うらら』(1974・東京美術)所載。(今井肖子)


March 0932007

 城ある町亡き友の町水草生ふ

                           大野林火

ある町は日本の町の代名詞。小さな出城まで入れると日本中城ある町、または城ありし町だ。城があれば堀があり、春になると岸辺に水草(みぐさ)が繁茂し、水面にも浮いている。生活があればそこに友も出来る。どこに住む誰にでもある風景と思い出がこの句には詰まっている。鳥取市と米子市に八年ずつ住んだ。鳥取市は三十二万五千石。市内の真ん中に城山である久松山(きゅうしょうざん)がどっしりと坐っている。備前岡山からお国替えになった池田氏が城主で、池田さんが岡山から連れてきた和菓子屋が母の実家だった。五、六歳の頃から、お堀に毎日通って、タモで泥を掬ってヤゴを捕った。胸まで泥に浸かって捕るものだから、危険だと何度叱られたかわからない。小学校三年生のときそこで初めてクチボソを釣った。生まれて初めての釣果であるクチボソの顔をまだ覚えている。中学と高校は米子。米子には鳥取の支城の跡があり、城址公園で同級生と初めてのデートをした。原洋子さん可愛かったなあ。その後原さんは歯科医になったらしいが、早世されたと聞いた。僕のお堀通いを叱責した父も母も今は亡く、和菓子屋を継いだ叔父も叔母も近年他界した。茫々たる故郷の思い出の中に城山が今も屹立している。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)


March 0832007

 卒業や楊枝で渡すチーズの旗

                           秋元不死男

業式後の謝恩会だろうか。卒業生同士ではなく、クラスの担任かゼミの教授か、年配の社会人から卒業生にチーズの旗をひょいと手渡している雰囲気がある。「旗」と言っても、お子様ランチのてっぺんにある日の丸のようなものではなく、爪楊枝にチーズを刺しただけのものをおどけて表現しているのだろう。旗を渡す行為は、今度は君の番だよ、と今まで自分が負っていた役目を託すことでもある。オリンピックの閉会式で次の開催地へと旗を渡すシーンが象徴的だ。人生の先輩から後輩へ渡す旗が大きなフラッグではなくちっちゃなチーズの旗なのだ。学生生活を終え前途洋々の未来へ胸ふくらます卒業生へ「人生に過大な期待を持つなよ、ほどほどにな。」と、浮き立つ心を現実に引き戻すと同時に「おめでとう」と、華やかな祝福をも滲ませる演出が心憎い。このあたりに不死男特有の苦味あるウィットが感じられる。「不死男の句はどこか漢方薬の入った飴のような味わいがあり、それを人生の地味といえるならまさしくこれは新しい人生派の境地と称していいかも知れない。」と朝日文庫の解説で中井英夫が評しているとおり、不死男の句は後からじんわり効いてくるのだ。『永田耕衣・秋元不死男・平畑静塔集』(1985)所収。(三宅やよい)




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