センバツ屈指の好投手と言われた報徳の近田が負けた。だから、野球は奥深い。(哲




2007ソスN3ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2632007

 重箱に鯛おしまげて花見かな

                           夏目成美

語「長屋の花見」の連中が知ったら、仰天して腰を抜かしそうな句だ。重箱に入りきらない大きな鯛を、とにかく「おしまげて」詰めたというのだから豪勢な酒肴である。かたや長屋の連中は、卵焼きの代りに沢庵、蒲鉾の代りに大根のこうこという粗末さだ。酒ももちろん本物ではなく、番茶を煮出して水で割ったものである。作者の成美は江戸期の富裕な札差(金融業)であり、家業のかたわら独学で俳諧をつづけ、江戸の四大家の一人と称された。一茶のパトロンとしても知られた人物だ。句からうかがえるように、当時の大金持ちの花見はさぞや豪勢だったに違いない。落語に戻れば、上野に出かけた貧乏長屋の連中は、大家に何か花見らしいことをやろうじゃないかと言われ、一句ひねらされるハメになってしまった。そのクダリを少々。勝「大家さん、いま作った句を書いてみたんですが、こんなのぁどうでしょう」大家「おぅ、勝っあん、できたかい? おぉ、お前さん、矢立てなんぞ持って来たとは、風流人だねぇ。いや、感心したよ、どれどれ『長屋中……』、うんうん、長屋一同の花見てぇことで、長屋中と始めたところは嬉しいねぇ。『長屋中 歯を食いしばる 花見かな』え? なんだって? この『歯を食いしばる』てぇのはいったい何なんだい?」勝「なーに、別に小難しいこたぁねぇんで、あっしのウソ偽りのねぇ気持ちをよんだまでで……まぁ、早い話が、どっちを見ても本物を呑んだり食ったりしてるでしょ。ところがこっちは、がぶがぶのぼりぼり、あぁ、実に情けねぇ、と思わずバリバリッと歯を食いしばったという……」へえ、おあとがよろしいようで。柴田宵曲『俳諧博物誌』(岩波文庫)所載。(清水哲男)


March 2532007

 遅き日のつもりて遠きむかしかな

                           与謝蕪村

語は「遅き日」、日の暮れが遅くなる春をあらわしています。毎年のことながら、この時期になると、午後6時になってもまだ外が明るく、それだけでうれしくなってきます。この「毎年」というところを、この句はじっと見つめます。繰り返される月日を振り返り、春の日がつもってきたその果てで、はるかなむかしを偲んでいます。「日」が「積もる」という発想は、今の時代になっても新鮮に感じられます。蕪村がこの発想を得た地点から、日本の詩歌がどこまでその可能性を伸ばすことができたかと、つくづく考えさせられます。叙情の表現とは、しょせん引き継がれ発展するものではなく、あくまでも個人の感性の深さに頼ってしまうものかと思ってしまいます。「つもる」という語から、微細な埃が、春の日の中をきらめいて落ちる様子を思い浮かべます。間違いなく日々は、わたしたちを単に通過するのではなく、丁寧に溜(た)められてゆくようです。冊子のように重ねられた「遅き日」をめくりながら、蕪村がどのような感慨をもったのかについては、この句には描かれていません。読む人それぞれに、受け取り方は違ってくることでしょう。静かに通り過ぎて行った「日」も、あるいは激しい感情に揺れ動いた「日」も、ともに「むかし」にしまわれた、二度と取り出せない大切な「時」の細片なのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 与謝蕪村』(1984・桜楓社)所収。(松下育男)


March 2432007

 輪を描いてつきゆく杖や彼岸婆々

                           河野静雲

岸明けの今日。手元の歳時記の彼岸の項には、この気候のよい時に彼岸会(ひがんえ)と称し、善男善女は寺院に参詣し、祖先の墓参をする、とある。また、彼岸、といえば春彼岸をさし、秋のそれは、秋彼岸、後の彼岸、という。彼岸婆々、は、ひがんばば、であり、彼岸会に来る信心深いお婆さん達、というところか。歳時記の彼岸詣(ひがんまいり)の項にあったこの句は、句集『閻魔』によると昭和八年の作。句集には他に〈腰の手のはだか線香や彼岸婆々〉〈みぎひだり廊下まちがへ彼岸婆々〉〈駄々走り来て小水の彼岸婆々〉など、彼岸婆々の句が多く見られる。作者は、時宗の僧職におられたということなので、どれも実際の彼岸会での光景を詠んだものだろう。掲句は、法要が終わって帰って行く姿である。足腰はもちろん、疲れもあって目もしょぼしょぼしているのか、探りながら杖をついているのだろう。それを後ろから、じっと見つめている作者の眼差しは温かい。生き生きとした描写の数々は、ときにおかしみを伴うが、その根底には、さまざまな苦労を乗り越えて生きてきた彼女達の怒りや涙をも包みこむ愛情が感じられる。それは、僧侶という立場を越えた、人としてのものだろう。ふと、彼岸爺とは言わないものか、と思い読み進めると〈ふところにのぞける経や彼岸翁〉とある。彼岸翁(ひがんおう)か、なんだか高尚な感じだが、つまらなく思えてしまった。いずれにせよ、善男善女とおおらかなご住職とそこに生まれる俳句、それほど遠い昔ではないのだけれど。『閻魔』(1940)所収。(今井肖子)




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