Mリ紀q句

March 2732007

 あふむくやはるおほぞらのうつぶせに

                           柚木紀子

年、手書きの機会はめっきり減っているが、どうしても書き取りたいと思わせる句がある。作者と同じ字面をなぞることで、身体のすみずみまでしっかりゆきわたる感触を味わうことができるからだ。掲句も丹念に書き写し、その景を存分に堪能した一句だ。大地に仰向きで寝転び、無防備に両手両足を投げ出すとき、まるで青空がうつぶせになって覆い被さってくるようだと思う。唇のかたちの春の雲がやわらかに流れ、風が髪をなぶり、陽が頬を撫でる。ああ、今、春の空に誘われているのだと気づく。なんと優雅になんと雄々しい誘惑だろう。空を「うつぶせ」にしたことによって命を与え、ある種の異類婚姻譚を感じさせる。ギリシャ神話でゼウスは黄金の雨に姿を変え、ダナエの元に訪れ、身ごもらせたのだった。明日からなにもかもが変わってしまうような予感に揺さぶられながら、作者もまたためらうことなく二本の腕を大空に向かって差し出すのだろう。青空としなやかな白い腕とのコントラストが息を飲むような美しさで迫ってくる。『ミスティカ』(2004)所収。(土肥あき子)


July 0372007

 風ここに変り虚のかたつむり

                           柚木紀子

書きに「谷川岳一の倉沢から幽の沢へ」とある。虚には「うつせ」のルビ。一の倉沢から幽の沢は、北アルプスの穂高、劔岳とともに、日本三大岩場と称するほど人気があるといわれる岩場だ。登山とはまったく縁のない生活をしているが、昨年7月同地を歩く機会を得た。一の倉沢出合まで車で、そこから一時間ほどの登山ともいえぬトレッキングだったが、幽の沢では一気に風の気配が変わり、足元から吹き上がる風に押し戻されるように思えた。ここから先へ行くのか、と山に念を押されているような風である。ここで頷いてしまう者たちが、山に魅入られてしまうのだろう。山肌に打ち付けられた何枚ものプレートは、「魔の山」の異名を持つ谷川岳で遭難したクライマーたちの発見された場所だという。発見される場所が集中しているのは、まるで山が自ら、魅入られた者たちの弔い場所を定めているかのようだ。渦巻きのなかに溶けて消えてしまったようなかたつむりの骸(むくろ)が、ここで落としていった命の器に思えてくる。〈土に置く山の鎮めの桃五つ〉〈いましがた虹になりたる雫かな〉駐車場に戻ると、涙が固まってできたような雪渓を前に、呆然と絶壁を見あげる人たちの姿を見た。『曜野』(2007)所収。(土肥あき子)


December 25122010

 ざらと置くロザリオもまた冬景色

                           柚木紀子

リスチャンでない私にはわからないのだとは思いながら、この句のロザリオの存在感が、12月25日という本来のクリスマスをあらためて感じさせてくれた。ロザリオは、その数珠のひとつひとつを手繰って祈るものだという。今そこに置かれたロザリオ、しんと静まっている窓の外の気配、かすかに揺れているろうそくの炎、それらすべてを作者の深い祈りと敬虔な心が包みこんでいる。キリストが誕生したという雪に覆われた遙かな冬、大地が眠る中何かが目覚めた遠いその瞬間を、思わず想像させられる。『麺麭の韻』(1994)所収。(今井肖子)




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