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April 2142007

 惜春の紐ひいて消す灯かな

                           大久保橙青

夏秋冬、〜めく、という表現は、いずれにもあてはまり、新しい季節の兆しに生まれる句も多い。しかし行くのを惜しまれるのは、春と秋のみ、惜夏、惜冬、とは言わない。夏が好きな私などは、秋の気配を感じると、えも言われず寂しく、去りゆく夏を心情的には惜しむのだが、過ごしやすくなる、という安堵感もまた否めない。それは冬も同様だろう。「望湖水惜春」と前書きのある芭蕉の句〈行春を近江の人とをしみける〉にも見られるように、秋惜む、に比べると、春惜む、惜春、は歴史ある季題である。桜に象徴される華やかな春を惜しむ心持ちには、一抹の寂しさがあり、やわらかい風を、遙かな雲を、のどかな空気を、いとおしみ惜しむのである。芭蕉の句の琵琶湖の大きい景に対して、この句の惜春は、ごく日常的である。現在は、部屋の電気を壁にあるスイッチで消す、というのが大半であろうが、その場合、少し離れた所から間接的にスイッチを押し、暗くなった部屋全体に目をやることになる。しかし、ぶら下がっている紐を、その手で直接ひいて明りを消す時は、引きながらその明りに視線が行く。カチリと消した今日の灯(あかり)の残像が、暗がりの中にぼんやり残っているのを見つつ、また一日が終わったなと、行く春を惜しむ気持になったのだろう。惜春の、で切れており、読み下して晩春の穏やかな闇が広がってゆく。『阿蘇』(1991)所収。(今井肖子)




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