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May 0152007

 五月晴豚舎のシャワー雫せる

                           上田貴美子

ャワーは夏の季語にもあるが、掲句のそれは涼を取ることが目的ではなく、あくまで豚舎の建物の一部としてのシャワーである。豚はとてもデリケートな動物で、外部から持ち込まれる病原菌にたいへん気を使うという。豚舎内に入る場合には、シャワーを浴びた後、靴下、下着いっさいを用意された衣服に着替えるのだそうだ。おそらくたくさんの豚たちが賑やかに生活している空間に隣合わせて、雫は一滴また一滴とこちら側の機能的な設備のなかに響く。無駄のない言葉の斡旋が、素知らぬ顔をして風景の背後にある真実にぐいぐいと迫っていく。清潔な環境、病気をさせないような配慮の先にあるものとは。ここにいる動物たちは、言うまでもなく食卓にのぼる食べ物になるために飼育されているのだ。わたしたちはいかに生かされているのか、そんな命のやりとりを声高に訴えることなく、掲句はしかしさりげなく差し出してみせている。見上げれば雲ひとつない、はりさけるほど美しい五月の空があるばかり。管理された豚たちは、外界の空を見る機会はあるのだろうか。ぽつり、ぽつりと静かな祈りのように雫がふくらんでは落ちる。『人間(じんかん)』(2004)所収。(土肥あき子)


June 1162016

 十薬やいたるところに風の芯

                           上田貴美子

の犬の散歩に時々付き合うようになって半年ほどになる。早朝の住宅街をただ歩く、ということはほとんどなかったので、小一時間の散歩だがあれこれ発見があって楽しい。そんな中、前日まで全く咲いていなかった十薬の花が今朝はここにもあそこにもいきなりこぞって咲いている、と驚いた日があった、先月の半ば過ぎだったろうか。蕾は雫のようにかわいらしく花は光を集めて白く輝く十薬。どくだみという名前とはうらはらに、長い蘂を空に伸ばして可憐だ。いたるところで風をまとっている十薬の花と共に、どこかひんやりとした梅雨入り前の風自体にも芯が残っているように感じられたのを思い出した。他に〈透明になるまで冷えて滝の前〉〈人声が人の形に夏の霧〉。『暦還り』(2016)所収。(今井肖子)


July 0872016

 行くところある海猫の声眩しめる

                           上田貴美子

ならどの街でも見かけるが、海の近いところでは海猫を多く見掛けるようになる。今作者が歩いている街は行く先々に海猫の声が聞える。空に群れ飛ぶ鳥たちは一羽一羽姦しく鳴き騒いでいる。聴覚の声が視覚の眩しさに重なって海猫の存在感に圧倒される。そんな港町を作者は楽しんで歩いている。作者にとって還暦を二十年も越えて現の事象を楽しめる余裕の日々なのである。他に<人間を脱走途中祭笛><創刊号何れも薄し小鳥来る><暦還りして二十年桜餅>等々あり。「暦還り」(2016年)所収。(藤嶋 務)




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