五月。農家だった子供のころは田植などで忙しかった。農繁期休暇もあったっけ。(哲




2007ソスN5ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0152007

 五月晴豚舎のシャワー雫せる

                           上田貴美子

ャワーは夏の季語にもあるが、掲句のそれは涼を取ることが目的ではなく、あくまで豚舎の建物の一部としてのシャワーである。豚はとてもデリケートな動物で、外部から持ち込まれる病原菌にたいへん気を使うという。豚舎内に入る場合には、シャワーを浴びた後、靴下、下着いっさいを用意された衣服に着替えるのだそうだ。おそらくたくさんの豚たちが賑やかに生活している空間に隣合わせて、雫は一滴また一滴とこちら側の機能的な設備のなかに響く。無駄のない言葉の斡旋が、素知らぬ顔をして風景の背後にある真実にぐいぐいと迫っていく。清潔な環境、病気をさせないような配慮の先にあるものとは。ここにいる動物たちは、言うまでもなく食卓にのぼる食べ物になるために飼育されているのだ。わたしたちはいかに生かされているのか、そんな命のやりとりを声高に訴えることなく、掲句はしかしさりげなく差し出してみせている。見上げれば雲ひとつない、はりさけるほど美しい五月の空があるばかり。管理された豚たちは、外界の空を見る機会はあるのだろうか。ぽつり、ぽつりと静かな祈りのように雫がふくらんでは落ちる。『人間(じんかん)』(2004)所収。(土肥あき子)


April 3042007

 北へ行く春と列車ですれちがふ

                           藤井晴子

つてNHKラジオに「日本のメロディー」(1977年〜1991年)という番組があり、愛聴していた。パーソナリティは、独特の語り口で人気のあった中西龍(故人)アナウンサー。掲句は番組の終わりで毎回紹介されていた俳句のなかの一句だ。中西さんは千昌夫の「北国の春」(作詞・いではく)を引用して、この句にコメントをつけていた。とりわけて二番の歌詞の「雪どけせせらぎ丸木橋/からまつの芽がふく北国のああ北国の春」あたりが、いまどきの北海道の季節感にしっくりと来るだろう。調べてみたら、北海道の桜は昨日現在ではまだ咲いていない。青森でも、ちらほらということだった。日本列島は南北に細長く、北国の春が遅いことは誰もが承知している。しかしその承知は頭の中でのそれなのであって、実感として入ってくるのは、実際に列車などで移動するときだ。作者はいま北国から南下中で、車窓の景色がだんだん早春から初夏のようなそれへと移り変わっていく様子に、「北へ行く春」とすれちがっているのだなあと実感している。そんなに情感のある句とは言えないけれど、ちょうどこの季節に旅行する人の実感を素朴にとらえた手柄は評価できる。この実感からもう一歩踏み込めば、もっと良い句になったと思う。惜しい。中西龍『私の俳句鑑賞』(1987)所載。(清水哲男)


April 2942007

 春雨や動かぬ貨車の操車場

                           宮原和雄

供の頃に、大田区の西六郷に住んでいました。近くに蒲田の操車場があり、国鉄(今のJR)関係の仕事に従事している人が多く住んでいました。国鉄職員のための「国鉄アパート」や、社宅がありました。小学校中学校と、そこから通っている友人も多く、よく操車場近くで一緒に遊んでいました。何台もの車両が金網の向こうに見える風景が、いつも日常の中にしっかりとありました。操車場とは言うまでもなく、車両の入れ換え・整備などを行う場所です。「動かぬ」と句の中でも強調しているように、多くの車輌は一見、静かにたたずんでいるかのように見えます。その動かないことが、秘めたエネルギーを感じさせ、間近に見ると圧迫感を持ってせまってきます。季語は春雨。これから生き物が息づいてくる季節に降る雨です。掲句も、明るい方向へ向かう季節の中の操車場を詠っていますが、全体の印象はどちらかと言うと、「勢い」よりもむしろ「休息」です。荷物を降ろしたあとで、貨車は操車場のてのひらに包まれて静かに眠っているようです。その眠りを起こすことなく、車輌を濡らして春の雨が降り続けます。貨車のほっとした吐息が、春のやさしい雨音の向こうから聞こえてきそうです。本日は昭和の日。昭和をどうする日なのかはわかりませんが、わたしが国鉄アパートの階段を駆け上がっていた頃は、昭和もまだ、若い頃でした。『鑑賞歳時記 春』(1995・角川書店)所載。(松下育男)




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