2007N59句(前日までの二句を含む)

May 0952007

 船頭も饂飩うつなり五月雨

                           泉 鏡花

にヘソマガリぶるつもりはないけれど、芭蕉や蕪村の五月雨の名句は、あえて避けて通らせていただこう。「広辞苑」によれば、「さ」は五月(サツキ)のサに同じ、「みだれ」は水垂(ミダレ)の意だという。春の花たちによる狂躁が終わって、梅雨をむかえるまでのしばしホッとする時季の長雨である。雨にたたられて、いつもより少々暇ができた船頭さんが、無聊を慰めようというのだろうか、「さて、今日はひとつ・・・・」と、うどん打ちに精出している。本来の仕事が忙しいために、ご無沙汰していたお楽しみなのだろう。雨を集めて幾分流れが早くなっている川の、岸辺に舫ってある自分の舟が見えているのかもしれない。窓越しに舟に視線をちらちら送りながら、ウデをふるっている。船頭仕事で鍛えられたたくましいウデっぷしが打っていくうどんは、まずかろうはずがない。船頭仲間も何人か集まっていて、遠慮なく冷やかしているのかもしれない。「船頭やめて、うどん屋でも始めたら?」(笑)。あの鏡花文学とは、およそ表情を異にしている掲出句。しかし、うどんを打つ船頭をじっと観察しているまなざしは、鏡花の一面を物語っているように思われる。鏡花の句は美しすぎて甘すぎて・・・・と評する人もあるし、そういう句もある。けれども「田鼠や薩摩芋ひく葉の戦(そよ)ぎ」などは、いかにも鏡花らしく繊細だが、決して甘くはない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 0852007

 親戚のような顔して黴育つ

                           鎌田次男

ニシリンを始め、味噌、醤油、チーズなど、深く感謝に値する黴(カビ)は数あれど、清潔志向の現代の生活ではアレルギー疾患を引き起こす一因などとも関係し徹底して嫌われ、愛でるために栽培している人はまずいないと思われる。掲句ではそのにっくき黴が「親戚のような顔」で育っているという。俳句で使用する「ような」や「ごとく」には、ごく個人的な感情に通じるものがあり、読者の「わかる」と「わからない」が大きく分かれるところでもあるが、座敷の片隅で発見した黴がまるで「遠縁の者です。厄介になります」とばかりに、大きな顔でもなく、かといって遠慮するわけでもなく、ひそやかにのさばっていく様子はまさしく「親戚のような顔」であろう。黴が生えるという嫌悪すべき緊急事態が、一転してあっけらかんと罪のない日常に溶け込んだ。親戚が集まる冠婚葬祭の場では、どうしても思い出せない叔父や叔母や従姉妹が、ひとりやふたりいるものだ。しかし確かにどこかで見覚えもあり、どことなく似通うこの係累の特徴も備えている。結局、最後まではっきりとした関係はわからないまま「親戚の人」として存在する人物がいたことなども懐かしく思い出している。『亀の唄』(2006)所収。(土肥あき子)


May 0752007

 川蝉の川も女もすでに亡し

                           佐藤鬼房

語は「川蝉(かわせみ・翡翠)」で夏。京都野鳥の会の川野邦造氏が「翡翠の夏の季語は解せない」として、「冬枯れの川べりをきらりと飛ぶ姿は夏以上に迫力がある」と「俳句界」(2007年5月号)に書いている。私もかつて多摩川べりに暮したので、冬の翡翠もよく知っているし賛成だ。ただ古人が夏としたのは、新緑の水辺とのマッチングの美しさからなのだろう。この句は作者還暦のころの作と思われるが、若い読者は通俗的な句として受け取るかもしれない。なにせ、道具立てが整い過ぎている。眼前を飛翔する川蝉の美しい姿に、ともにあった昔の山河もそして「女」もいまや亡しと、甘く茫々と詠嘆しているからだ。しかし私は、こうした通俗が身にしみて感じられることこそが、老齢に特有の感覚なのだと思う。ごくつまらなく思えていた諺などが、ある日突然のように身にしみてその通りだなと感じられたりもする。老齢、加齢とは、かなりの程度で具体的に通俗が生きられる年齢のことではあるまいか。若さは川蝉のようにすばしこく感性や神経を飛ばせるけれど、老いはそのような飛ばし方にはもう飽き飽きして、とどのつまりはと世間の通俗のなかに沈んでいく。格好良く言い換えれば、無常感のなかに没することを潔しとするのである。したがって、この句にジーンと来た読者はみな、既に老境に入っているはずだというのが、私の占いだ(笑)。『朝の日』(1980)所収。(清水哲男)




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