広島6-1阪神。昨夜の結果。ますますマズイ。とにかく三位までに食い込めよ。(哲




2007ソスN5ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1752007

 鮎焼くや空気の軽き村にゐて

                           橋場千舟

うすぐ解禁になる鮎釣りを心待ちにされている方も多いだろう。「空気の軽き村」という表現に身の装いも軽く田舎に遊ぶ愉快な気分と、すがすがしい空気との調和が感じられる。真青な空と山。風通しのよい林から鳥の囀りも聞こえてくるかもしれない。「ゐて」とあるから作者は村に住んでいるのではなく、都会の喧騒から離れたこの場所へ家族や友人と連れ立って遊びに来ているのだろう。澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んで、初夏の休日を楽しむ。川原の石を積んで即席の石窯を作り、釣りたての鮎を串にさして焼くのもいい。家や人が密集する街で忙しい日々を送っていると、ゆったりと自然に心を遊ばすのを忘れがちになる。こんな村で深呼吸すれば肺のすみずみまできれいになりそうだ。同じ川の鮎でも上流域でとれる鮎ほど身のしまりがよく味もいいと聞く。空気の軽い村で川音とともに食する鮎はさぞおいしいことだろう。生きのいい鮎なら塩を振ってこんがり焼けば、スマートな身からするりと骨が抜ける。行楽の楽しさが伝わってくるとともにああ、とれたての鮎が食べたいと、食欲をそそられる一句でもある。『水玉模様』(2000)所収。(三宅やよい)


May 1652007

 神輿いま危き橋を渡るなり

                           久米三汀

は夏祭の総称であり、神輿も夏の季語。他は春祭、秋祭となる。大きな祭に神輿は付きもの。ワッセワッセと勇ましい神輿が、今まさに町はずれの橋を渡っている光景であろうか。「危き橋」という対比的なアクセントが効いている。現今の橋は鉄やコンクリートで頑丈に造られているが、以前は古い木橋や土橋が危い風情で架かっていたりした。もともと勇ましい熱気で担がれて行く神輿だけれど、「危き橋」によっていっそう勢いが増し、その地域一帯の様子までもが見えてくるようである。世間には4トン半という黄金神輿(富岡八幡宮)もあれば、子どもたちが担ぐ可愛い樽みこしもある。掲出句は巨大な神輿だから危いのではない。危い橋に不釣合いなしっかりした神輿が、祭の勢いで少々強引に渡って行く光景だろう。向島に生まれ住んだ富田木歩の句に「街折れて闇にきらめく神輿かな」がある。今年の浅草三社祭は明後十八日から始まる。昨年は神輿に大勢の人が乗りすぎ、担ぎ棒が折れるという事故が起きた。そうした危険に加え、神輿に人が乗るのは神霊を汚す行為だ、という主催者側の考え方も聞こえてくる。今年はどういうことに相成るのか――。三汀・久米正雄は碧梧桐門。一高在学中に新傾向派の新星として俳壇に輝いた。のち、忽然と文壇に転じた。戦後は俳誌「かまくら」を出し、鎌倉の文士たちと句作を楽しんだ。「泳ぎ出でて日本遠し不二の山」三汀。句集に『牧唄』『返り花』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 1552007

 代田より這ひ来て吾を生せる母

                           小原啄葉

者は1921年、岩手県生れ。今よりほんの少し昔の農村では、農閑期に受胎し農繁期に出産することが多かった。そして10歳をかしらに5人の子供というような、すさまじい育児を繰り返してきたのだ。少子化とは何なのだろうかと今一度考えてみる。前回の国勢調査で出生率は過去最低の1.26人であったと発表されている。いわく子供を育てる環境が整わない、働く女性への配慮が足りないなど、不満や不安は限りない。しかし掲句を前にしたとき、それらの言葉のなんと脆弱であることか。代田とは苗を植えた際、発育が良くなるように田の面を掻きならす代掻きが済んだ田のこと。この作業はかつて非常な労力を必要としたという。産み月まで労働を強いられてきた女たちの過酷な日々を感じつつも、掲句には弱音を一切受け付けないようなほとばしるパワーがある。私を含め、出産や育児に対して気弱な女性が増えた昨今、大いなるエールを与えるには、政府が打ち出す「次世代育成支援対策推進法」や「教育再生会議」の親切めいた子育て指南でうんざりさせるより、過去の母親がなしてきた姿を見せてくれたほうがよほどこたえる。女たちはいつの時代も力強く子を生み、育ててきた。どんな時代であろうと果敢に挑戦せよと、過去をさかのぼる何百何千という日本の母親たちの手に触れたようなぬくもりと厳しさを一句に感じている。『平心』(2006)所収。(土肥あき子)




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