「時効分も申請前提、再び受給漏れの恐れも。社保庁方針」だとさ。何考えてんだ。(哲




2007ソスN6ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0462007

 夏の月ムンクの叫びうしろより

                           阿部宗一郎

まりにも有名なムンクの「叫び」。血の色のように濁った空の下で、ひとりの人物が恐怖におののいた顔で耳をふさいでいる。つまり題名の「叫び」はこの人物が発しているのではなく、赤い空に象徴された自然が発している得体のしれない声なのだ。掲句はしたがって、この人物の位置から詠まれている。季語「夏の月」は、多く涼味を誘われる景物と詠まれているが、この場合は花札にあるような不気味さを伴ってのぼってくる月と読める。その火照ったような光を見ていると、まさにムンクの「叫び」が「うしろより」聞こえてくると言うのである。作者は兵士としてかつての戦争を体験し、長くシベリアに抑留された人だ。だから「夏の月」を見ても、いまだに風流を覚えるというわけにはいかないのである。「夏の月耳に砲声消ゆるなし」の句もあり、掲句の「叫び」は砲声も含むが、それよりも戦場に斃れた数多くの戦友たちの無念の声でなければならない。戦後六十余年、もはや多くの人には仮想現実のようにしか思えないであろうあの悲惨を、現実のものとして捉え返せという切実な「叫び」がここにある。『君酔いまたも逝くなかれ』(2006)所収。(清水哲男)


June 0362007

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

存知のように夏場所は白鵬が連続優勝を飾り、来場所からは久々の2横綱になります。と、知ったようなことを書きましたが、最近は相撲をテレビ観戦する習慣もなく新聞の大きな見出しに目を通すばかりです。掲句を読んでまず注目したのは「水あさぎ」という語でした。浅学にも、色の名称であることを知らず、いったいこのあざやかな語はどういう意味を持っているのだろうと思ったのです。調べてみれば、「あさぎ」は「浅葱」と書いて、「みずいろ」のことでした。さらに「水あさぎ」は「あさぎ」のさらに薄い色ということです。そういわれて見れば、「水あさぎ」という音韻は、すずしげな水面を連想させます。句の構成はいたって単純です。「夏場所」から「ひかへぶとん」へ連想はつながり、「ひかへぶとん」の属性(色)として「水あさぎ」が置かれているだけです。言い換えれば中七の「ひかへぶとん」が連結器の役割をして、両腕にイメージの強い2語がぶら下がっている格好です。しかし、構成は単純でも、出来上がった作品は独自の世界を見せています。「ひかへぶとん」の「ひかへ」が、「あさぎ」と相まって句全体に奥ゆかしさをもたらしています。みずみずしく力の漲った、透き通るような句です。作者には「夏場所やもとよりわざのすくひなげ」という句もあります。夏場所についての解説を含め、興味のある方は増俳2000年5月10日をクリックして下さい。『作句歳時記 夏』(1989・講談社)所載。(松下育男)


June 0262007

 雷のごと滴りのごと太鼓打つ

                           村松紅花

語は季節を表す言葉だが、十七音の短い詩を俳句にするために適当にポケットから出してくっつける言葉ではなく、そこから俳句が生まれるという思いをこめて季題と言う、と俳句を始めた時に教わった。四季折々の自然の中で得る感動から俳句が生まれる時、そこには頭で考えていることを越えた何かがある、と感じることはよくある。しかしこの句、雷、滴り(したたり)、共に夏季だが、雷の句でも滴りの句でもない、太鼓の句である。天に轟くかと思えば地の底から響き、ときに咆哮し、ときに囁く太鼓のリズムのうねりの中に作者はいる。体の芯を揺さぶられるような強い感動が、一句となったのだろう。じっと目を閉じて、太鼓の音が作り出す世界に身をゆだねているうち、作者の中に存在している多くの言葉の中から自然に、雷、滴り、が浮かび出て、感動をそれらの季節の言葉に託して句が生まれた。縁打ち(ふちうち)を聞きながら、滴り、を得たところで句になったのではないかと思われるが、二つの言葉は、重量感と清涼感、激しさと静けさ、正反対でありながら、共に水を連想させ、その言葉の選択も絶妙である。そして、できあがった句には、太鼓の響きと共に夏の空が広がってくる。『破れ寺や』(1999)所収。(今井肖子)




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