情報漏えい:会員1万8千人ネットに。こんな「情報」にはマヒ気味になってきた。(哲




2007ソスN6ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2562007

 涙について眼科医語る妙な熱気

                           金子兜太

日、大学時代の仲間が東京から京都に転居するというので、送別会をやった。そこに先月緑内障の手術を受けたばかりの大串章も来ていて、みんなで「とにかく目の病気はこわいな」と、にぎやかな「目談義」となった。大串君によると、手術前のひところには、悲しくもないのに「涙」が止まらなくなって困ったそうだ。最初にかかった眼科医は紫外線にやられたせいだという診断だったが、次の医者は緑内障だから即刻手術せよとのご託宣。度胸が良い彼は、ならばと両眼を一度に手術してもらい、すっきりした表情をしていた。よかった。で、その後で掲句を読んだものだから、なんだかヤケに生々しく感じた。作者の実感だろう。目の前の眼科医は、おそらく目にとっての涙の効用を語っているのだ。しきりに「涙」という言葉を連発して、だんだんと話に熱がこもってくる。それももとより物理的な効用の話で、寂しさや悲しさといった精神作用とは無縁なのである。相槌を打っているうちに、作者はこんなにも精神作用とは無関係な涙の話に熱を込められる人に、感心もしているが、どこかで呆気にとられてもいる。その感じを指して「妙な熱気」とは言い得て妙というよりも、こうでも言わないことには、二人の間に醸し出された雰囲気がよく伝わらないと思っての表現ではなかろうか。どことなく可笑しく、しかしどことなく身につまされもするような小世界だ。俳誌「海程」(2007年4月号)所載。(清水哲男)


June 2462007

 えり垢の春をたゝむや更衣

                           洞 池

らぽーと横浜の本屋で、平積みになった『古句を観る』を見つけました。幾度か清水さんの文章の中で紹介されていたこの文庫を、その場で読み始めました。夏のページをぱらぱらとめくっているうちに、目にとまったのがこの句です。すでに梅雨の時候ですが、わたしの心持は一気に、元禄期の更衣(ころもがえ)の季節に囲まれていました。アメリカの本屋を思わせるモダンな明るい紀伊国屋の書棚の前で、わたしは苗字もわからないこの俳人の思考過程をひそやかに辿っていました。柴田宵曲(しょうきょく)が解説しているように、この句で特徴的なのは、視線が未来にではなく、これまで過してきた過去に向かっていることです。やってきたことを丁寧に振り返る優しいまなざしが感じられます。衣服に向けられた心配りは、おそらく人にも同様に向けられていたのでしょう。折りたたまれたのはむろん「服」ですが、句は「春をたたむ」と、きれいな表現をつかっています。どんな春の日々をたたんだのかはわかりませんが、何かよい思い出があったに違いありません。忘れがたいできごとをそのままの状態でしまっておきたいという、けなげな願いが、大切に折り込まれているように感じるのです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


June 2362007

 漂著のバナナの島は地図になし

                           風 石

後生まれの私でも子供の頃、バナナはみかんやりんごよりも高級品だった。熱を出すと食べられる、というあれである。かつての住まいの庭には、柿、枇杷、夏みかん、いちじく、梅、桑などが実っていたが、バナナはその横文字の響きと、強い香りと甘みが、遠い外国、それも熱帯のジャングルを想像させるのだった。実芭蕉(みばしょう)という和名を知ったのはつい最近、俳句では夏季に分類されている。ばなな、という音には、鼻にぬけるようなとぼけた感じもあるのだが、この句が作られたのは、太平洋戦争も終末に向かっていた昭和十九年である。その年の「ホトトギス」六月号の巻頭の一句であり、作者の出身地の所には、○○船、とある。船の名称は軍事機密、作者も、風石、とだけあり定かでない。太平洋上の小さい島に漂著(ひょうちゃく)した経緯がどういったものだったのか、そこで詠まれた句がどうやって日本へ届いたのか。そんな境遇を余儀なくされながら、俳句を詠むことで、ひとりの人間としての自分と向き合っていられたのかもしれない。今日、六月二十三日は、沖縄慰霊の日。日本で唯一、地上戦となった沖縄では、犠牲者の数二十万人以上であったという。「夾竹桃の花を見ると玉音放送を思い出す」という言葉が記憶にあるが、バナナの島、太平洋、南国、常夏、などから戦争を連想する世代は、確実に少なくなっていく。「ホトトギス巻頭句集」(1995・小学館)所載。(今井肖子)




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