実害の少ないミート社事件報道は過熱気味だ。裏があるなとは、下衆のかんぐりか。(哲




2007ソスN6ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2662007

 凌霄花手錠のにぎりこぶしかな

                           横山香代子

にも鮮やかなオレンジ色の凌霄(のうぜん)の花。日本には豊臣秀吉が朝鮮半島から持ち帰ったといわれている中国原産の蔓性の植物である。「霄」という字は空を意味し、空を凌(しの)ぐほど伸びるという途方もない名を持っている。掲句は色鮮やかな花と、罪人の手元という異色の取り合わせである。なにより、人は手錠を掛けられたとき、誰もがグーの形に手を揃えるのだという事実が作者のもっとも大きな発見であろう。さまざまな後悔や無念が握りしめられたこぶしに象徴され、天を目指す鮮やかな花の取合わせがこのうえなく切なく、読む者をはっとさせる。また凌霄花は、夏空に溢れる健やかさのほかに、貝原益軒の『花譜』では「花を鼻にあてゝかぐべからず。脳をやぶる。花上の露目に入れば、目くらくなる」と恐ろし気な記述が続き、また英名Campsis(カンプシス)は、ギリシャ語の「Kampsis(屈折)」が語源だという、単に美しいだけではない一面を持つ。もちろん掲句にそのような深読みは不要だろう。しかし思わずその名の底に、善のなかの悪や、悪のなかの善などが複雑に入り交じる人間というものを垣間見た思いがするのだった。『人』(2007)所収。(土肥あき子)


June 2562007

 涙について眼科医語る妙な熱気

                           金子兜太

日、大学時代の仲間が東京から京都に転居するというので、送別会をやった。そこに先月緑内障の手術を受けたばかりの大串章も来ていて、みんなで「とにかく目の病気はこわいな」と、にぎやかな「目談義」となった。大串君によると、手術前のひところには、悲しくもないのに「涙」が止まらなくなって困ったそうだ。最初にかかった眼科医は紫外線にやられたせいだという診断だったが、次の医者は緑内障だから即刻手術せよとのご託宣。度胸が良い彼は、ならばと両眼を一度に手術してもらい、すっきりした表情をしていた。よかった。で、その後で掲句を読んだものだから、なんだかヤケに生々しく感じた。作者の実感だろう。目の前の眼科医は、おそらく目にとっての涙の効用を語っているのだ。しきりに「涙」という言葉を連発して、だんだんと話に熱がこもってくる。それももとより物理的な効用の話で、寂しさや悲しさといった精神作用とは無縁なのである。相槌を打っているうちに、作者はこんなにも精神作用とは無関係な涙の話に熱を込められる人に、感心もしているが、どこかで呆気にとられてもいる。その感じを指して「妙な熱気」とは言い得て妙というよりも、こうでも言わないことには、二人の間に醸し出された雰囲気がよく伝わらないと思っての表現ではなかろうか。どことなく可笑しく、しかしどことなく身につまされもするような小世界だ。俳誌「海程」(2007年4月号)所載。(清水哲男)


June 2462007

 えり垢の春をたゝむや更衣

                           洞 池

らぽーと横浜の本屋で、平積みになった『古句を観る』を見つけました。幾度か清水さんの文章の中で紹介されていたこの文庫を、その場で読み始めました。夏のページをぱらぱらとめくっているうちに、目にとまったのがこの句です。すでに梅雨の時候ですが、わたしの心持は一気に、元禄期の更衣(ころもがえ)の季節に囲まれていました。アメリカの本屋を思わせるモダンな明るい紀伊国屋の書棚の前で、わたしは苗字もわからないこの俳人の思考過程をひそやかに辿っていました。柴田宵曲(しょうきょく)が解説しているように、この句で特徴的なのは、視線が未来にではなく、これまで過してきた過去に向かっていることです。やってきたことを丁寧に振り返る優しいまなざしが感じられます。衣服に向けられた心配りは、おそらく人にも同様に向けられていたのでしょう。折りたたまれたのはむろん「服」ですが、句は「春をたたむ」と、きれいな表現をつかっています。どんな春の日々をたたんだのかはわかりませんが、何かよい思い出があったに違いありません。忘れがたいできごとをそのままの状態でしまっておきたいという、けなげな願いが、大切に折り込まれているように感じるのです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)




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