June 302007
天瓜粉子供の頃の夕方よ
杉本 零
天瓜粉(てんかふん)、いわゆるベビーパウダーのようなもので夏季。昨年八月に新増俳が始まって、一年になろうとしている。担当させていただくと決まって、それまであまり読むことのなかった句集その他を読むようになり、最初に惹かれた句集が、この杉本零(ぜろ)氏の『零』だった。昭和六十三年に、五十五歳で亡くなった氏の遺句集である。この句は「慶大俳句」時代の一句。〈よく笑ふ停學の友ソーダ水〉〈見廻して卒業式の上の空〉など学生らしい句の中に混ざり、ふっとあった。子供の頃、といってもこの時まだ二十代、そう遠い昔ではないはずだが、そこに戦争をはさんでいることを思うと、長い時間の隔たりがあるような気持になったのかもしれない。兼題句ではないだろうか、「天瓜粉」の言葉から、心に浮かんだ風景があったのだろう。風呂上がりにつかまえられてはたかれる昔の天瓜粉には、黄烏瓜の独特の匂いがあった。日が落ちかけて涼しい風が吹くともなく吹いてくる夏の夕方、天瓜粉の匂いとともに、縁側に置かれた蚊取り線香の匂い、さっとやんだ夕立あとの土の匂い、記憶の底にある夏の匂いがよみがえってくる。同じ頃の句に〈草紅葉愉しき時はもの言はず〉〈寒燈やホームの端に来てしまひ〉『零』(1989)所収。(今井肖子)
July 072007
いつまでもひとつ年上紺浴衣
杉本 零
二人は家が近所の幼なじみで、一緒に小学校に通っていた。その頃のひとつ違い、それも、男の子が一つ下、となると、精神年齢はもっと違う。彼女が少し眩しく見え始めた頃、彼女の方は、近所の悪ガキなどには見向きもしない。あらためて年上だと認識したのは、彼が六年生になった時だった。彼女は中学生になり、一緒に登校することはもちろん、学校で見かけることもなくなって、たまにすれ違う制服姿の彼女を見送るばかりである。彼も中学生から高校生に、背丈はとっくに彼女を追い越したある夏の夕方、涼しげな紺色の浴衣姿の彼女を見かける。いつもとどこか違う視線は、彼に向けられたものではない。彼はいつまでも、ひとつ年下の近所の男の子なのだった。二つ違いの姉を持つ友人が、「小学生の頃から、姉は女なのだから、男の僕が守らなきゃ、と思っていた。中学生の時、高校生の姉が夜遅くなると、駅まで迎えに行った。」と言ったのを聞き、あらためて男女の本能的性差のようなものを感じつつ、兄弟のいない私は、うらやましく思った。この句は、作者が句作を始めて十年ほど経った、二十代後半の作。紺色の浴衣を涼しく着こなした女性の姿から、男性である作者の中に生まれたストーリーは、また違うものだったろう。その後三十代の句に〈かんしゃくの筋をなぞりて汗の玉〉〈冷かに心の舵を廻しけり〉『零』(1989)所収。(今井肖子)
July 142007
いと暗き目の涼み人なりしかな
杉本 零
納涼(すずみ)とも書く涼み。夕涼み、のほかにも、磯涼み、門涼み、橋涼み、土手涼み、などあり、昔は日が落ちると少しでも涼しい場所、涼しい風をもとめて外に出た。現在、アスファルトに覆われた街では、むっとした夜気が立ちこめるばかりで、団扇片手にあてもなく涼みに出る、ということはあまりない。都内の我が家のベランダに出ると、東京湾の方向からかすかな海の匂いを含んだ涼風が、すうっと吹いてくることがたまにはあるけれど。この句に詠まれている人、詠んでいる作者、共に涼み人である。今日一日を思いながら涼風に向かって佇む時、誰もが遠い目になる。たまたま居合わせた人の横顔を見るともなく見ると、その姿は心地良い風の中にあって、どこか思いつめたような意志を感じさせる。しばらくして、とくに言葉を交わすこともなく別れたその人の印象が、いと暗き目、に凝縮された時、その時の自分の心のありようをも知ったのだろう。〈風船の中の風船賣の顔〉〈ミツ豆やときどきふつと浮くゑくぼ〉人に向けられた視線が生む句の向こう側に、杉本零という俳人が静かに、確かに存在している。お目にかかって、俳号の由来からうかがってみたかった。句集最後の句は〈みをつくし秋も行く日の照り昃り〉『零』(1989)所収。(今井肖子)
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