O謔「句

July 0572007

 湧く風よ山羊のメケメケ蚊のドドンパ

                           渡辺白泉

山明宏が銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』にデビューしたのは17歳のときだった。そして1957年、日本語版『メケメケ』で人気を博した。『メケメケ』はそれがどうしたっていうのだ。と、いうフランス語の最初の2音を連続させたものらしい。『ヨイトマケの唄』を雄々しく歌った青年は『黒蜥蜴』で妖艶な女性に変貌した後、現在の姿と相成ったが、そんな未来を40年前は知る由もなかった。「山羊のメケメケ」は白面の美少年を相手に山羊がメケメケを歌っているとでもいうのか。「ドドンパ」は最近では氷川きよしが歌っていたが、1961年に流行った『東京ドドンパ娘』が元祖だとか。都都逸とルンバを組み合わせたところからこういう呼び名が生まれたようだ。そう言われてみれば膝を軽く折り曲げ腰を落とす踊りの格好が血を吸う蚊とちょっと似ている。そんな憶測や意味づけをはねのけるように、口語口調の言葉のリズムは明るく楽しい。だがこの句には店先や家のラジオから風に乗ってやってくる流行歌、やがては消えてしまう歌に猫も杓子も浮かれかえるバカバカしさへの風刺が感じられる一方、そんな流行のはかなさを哀れに思う気持ちが上五の「湧く風よ」の呼びかけに滲んでいる。60年代といえば「もはや戦後ではない」と、日本の高度成長が開始する時期。戦後、俳壇から遠く距離を置いた白泉ではあったが、見かけの上昇に欺かれることなく現実を見つめ、時代の言葉で切って返す力は衰えてはいない。『渡邊白泉全句集』(1984)所収。(三宅やよい)


July 1272007

 噴水とまりあらがねの鶴歩み出す

                           宮入 聖

物をかたどった噴水はいろいろあるが、鶴の噴水で思い出すのは、丸山薫の「鶴は飛ぼうとした瞬間、こみ上げてくる水の珠(たま)に喉をつらぬかれてしまつた。以来仰向いたまま、なんのためにこうなったのだ?と考えている。」(『詞華集 少年』「噴水」より引用)という詩だ。この噴水は日比谷公園の池の真ん中にある鶴の噴水がモデルのようだ。写真を見ると大きな羽根を広げた仰向けの姿勢で細い嘴から水を勢いよく飛ばしている。掲句の「鶴」が日比谷公園の鶴か、作者の想像の産物なのかはわからないが、噴水が止まって歩き出すあらがね(租金)の鶴は、丸山薫の鶴のその後といった感じだ。詩を知らなくとも噴水が止まって動くはずのない鶴が歩き出すシーンを想像して楽しむだけでも充分かもしれないが、詩人が作り出した鶴のイメージをかぶせてみると、句の世界がより豊かになるように思う。垂直にほとばしる噴水のいきおいが急に止まったなら、全身を水に貫かれてしまった鶴も水から解き放たれ、重々しい一歩を前に踏み出しそうだ。栓をひねれば瞬時にして消えてしまう噴水のはかなさと金属の永続性。重さと軽さ。相反した要素を噛み合わせながら、静止と動きが入れ替わる白昼の不可思議な世界を描き出している。『聖母帖』(1981)所収。(三宅やよい)


July 1972007

 淋しい指から爪がのびてきた

                           住宅顕信

頭火や尾崎放哉の自由律俳句は、彼らの特異な生き方を加味して読まれるケースが多いようだ。季語の喚起力や定型を捨てた代わりに作者の人生を言葉の裏づけにしているとも言える。掲句の住宅顕信(すみたくけんしん)もまた、若くして不治の病に侵され26歳の若さで他界した。「ずぶぬれて犬ころ」「降りはじめた雨が夜の心音」などの句がある。この欄に載せようと、掲句を選んだあと、「淋しいからだから爪がのび出す」という放哉の句と似ているのに気づき、その類似について考えていた。放哉に私淑していた顕信がそれを知らないはずはない。が、顕信には顕信の現実があった。その現実を境涯と言い換えてもいいと思うが、そこから考えると類想で片付けられないものも見えてくる。掲句の「指から爪がのびてきた」には手を頭の上にかざしてじっと見入っている病臥の長い時間が感じられる。放哉もまた病魔に冒されていたが、「からだから爪がのび出す」という突き放した表現に荒々しさも感じられる。処し様のないこの激しさが放哉を小豆島の孤独な生活へ追い込んでいったのかもしれない。境涯から読むことは、似ている両句の違いを理解する一助にはなるだろう。しかし彼らの境涯を知らずにそれぞれの句を読んで心を動かされる読者もいるだろう。それは両句とも爪がのびる何気ない生理現象に焦点をあてることで、人間が共通して持っている「淋しさ」への道をひらいているからこそ人を魅了するのかもしれない。『住宅顕信 全俳句集全実像』(2003)所収。(三宅やよい)


July 2672007

 手花火の君は地球の女なり

                           高山れおな

花火をする様子は俳句では詠み尽された情景のように思えるが、この句は「地球」という言葉を加えたことで、思いがけない像を描き出している。私たちは地球に生きている動物の一員でしかないけれど、人間中心に生活しているとそんな事実はどこかに吹き飛んでしまう。あたりまえに思えることをわざわざ定義しなおすことで、目の前の光景は宇宙的規模に拡大される。ボクの前で膝をかがめ、ぱちぱち花火を散らしている彼女の姿が丸い地球の表面にへばりついて花火をしているマンガ的にデフォルメされた図として頭に浮かんでくる。それと同時にキミとボクの間柄もにわかに遠のいて親しい彼女が「地球の女」という見知らぬ生物になってしまったようなとまどいも感じられるのだ。経験に即した実感を持って目の前の対象を写しとることに力点を置いた近代俳句以前の俳諧は言葉の滑稽や諧謔を楽しんでいた。掲句では小さく視界がまとまりがちな手花火の景にレベルの違う言葉の「ずれ」を持ち込むことで、日常の次元をゆがませ、ナンセンスなおかしみを感じさせている。『ウルトラ』(1998)所収。(三宅やよい)


August 0282007

 夕顔や横丁の名も花の名も

                           岡部松助

本邦雄の『國語精粹記』の「歌枕考現學」には各地の美しい地名がずらりと並べられている。京都は「一千年の文化がみづからに施した象眼、螺鈿(らでん)、どの一部分をクローズアップしても、それは固有名詞花園であつた」という説明とともに燈籠町、月見町、紅葉町、佛具屋町、悪王子町、と言った下京の町名が羅列されており、その中に夕顔町の名も見える。驚くことに六条西には天使突抜(てんしつきぬけ)と呼ぶ地域もあるらしい。散歩や観光で訪れた見知らぬ場所でたまたまこのような名前を目にとめたら、さぞ旅心を刺激されることだろう。この句ではあてどなく歩いている最中にふっと目を留めた町名と門扉の近くに揺れる真っ白な花の名が一致した偶然がさりげなく詠まれている。陋屋に美しい女を見出す『源氏物語』から始まって「夕顔」という言葉は様々な連想を抱えこんでいる。「横丁の名も」「花の名も」と後に続いてゆく「も」にそのあたりの事情を含ませているのだろう。しかし、この句は歩いているときに出会った偶然をそのまま句に書きとめている何気なさが魅力。それが「夕顔」の美しさとともに気さくで身近なこの花の印象を引き立てているように思う。俳誌「や」(第43号・2007年夏号)所載。(三宅やよい)


August 0982007

 原爆忌折鶴に足なかりけり

                           八田木枯

島に続き62年前の今日、11時2分長崎に二つ目の原爆が投下された。先年亡くなった義父は、広島の爆心地近くで被爆したが、近くにあった茶箪笥が熱線と爆風を受け止めたため九死に一生を得た。今も使われている箪笥の裏側はあの日の閃光で真っ白に変色している。ニュースやドキュメンタリーで広島、長崎のきのこ雲の映像を見るたび、普段どおりの生活を営んでいた数十万の人々が巻き込まれた苛酷な運命を思い胸が痛くなる。熱線に焼かれ火炎地獄の中で亡くなっていった人々の悔しさと無念さはいかばかりだったろう。かろうじて生き残った人々の心と身体にも深い傷が残った。今年も鎮魂の折鶴が何万羽となく被爆地へ届けられたことだろう。私の職場でも各机で鶴が折られ箱に収まった。「折鶴に足なかりけり」と、「脚」ではなく「足」と表記したことで、折鶴には不似合いな生身の足を感じさせる。おびただしく折られる鶴のことごとくに足のない事実は、あの日火傷を負い、建物の瓦礫に埋まり、身動きが出来ぬまま亡くなっていった数万の人々の姿と響きあう。それは原爆の悲惨な現実を思い起こさせると同時に、戦後62年を経た今、生きながらえた私たちが折鶴に託する祈りは何なのかと読み手の胸にせまってくるのだ。「現代俳句」(2005年7月号)所載。(三宅やよい)


August 1682007

 忘れいし晩夏は納屋のかたちせり

                           津沢マサ子

れていた晩夏は納屋のかたちをしている。単純に意味を追えばそうなる。納屋といっても狭い住居に暮らす都会では想像しにくい場所になってしまった。農機具や役に立たなくなった生活用品を保管する納屋は、日常から隔たった薄暗い場所。おとなは用のあるときにしか立ち入らないが、子供にとっては絶好の隠れ家だった。親に見つからないよう身を潜めて流行おくれの帽子をかぶってみたり、いけない本を盗み見たり、ほこりだらけの鞄の底を探ったりした。閉め切った納屋の空気はむんむんして、扉の隙間から細く射す金色の光に細かな埃が浮いているのを不思議な気持ちで眺めた。永遠に続くように思われた夏休みももうすぐ終わってしまう。納屋で過ごしたひとりの時間がこの句を読んで蘇ってきた。あの夏の一日もガラクタのように納屋へ放り込まれてしまったのだろうか。納屋は過ぎ去った日々を過ごした懐かしい場所であるが、その記憶もいつしか曖昧になって納屋そのものになってしまうのかもしれない。その中に入ろうとしてももはや子供の私へ立ち戻ることは出来ない。「納戸より見ゆるむかしの夏の色」と岡本高明の句もある。遠い夏の日々は納屋や納戸にこそ息づいているのだろう。『風のトルソー』(1995)所載。(三宅やよい)


August 2382007

 よき木にはよき風通る地蔵盆

                           山本洋子

蔵盆は陰暦7月23日24日の地蔵菩薩の縁日に行う会式。子供が中心になって地蔵様を祭る慣わしと辞書にはある。地蔵は子供を守る神様とよく言われるが、六道輪廻それぞれの世界での苦難を救ってくださる神様としてよく墓地の入り口に六体ならんでいる。弱い立場の人を最優先に救ってくださるそうだから、子供達にとってスーパーマンのような存在なのだろう。道祖神のように町外れに結界の守り神として建てられることも多いようだ。インターネットであれやこれやと覗いてみたところ地蔵盆が関西で盛んなのは、室町時代に京都中心に地蔵の一大ブームがあり、地蔵盆が根付いたとか。神戸に住んでいた私は経験したことがないが、京都では今も町内の子ども会などを中心に地蔵様に花や餅を供え、ゲームなどを楽しんでいる地域が多いようだ。朝から地蔵の前に賑やかに集まる子供達。町外れの地蔵様の祠には大きな樟が木陰を作り、さわさわと秋めいた風に葉を揺らしている。夜になれば赤い提灯に灯が入り、綿菓子やヨーヨーを携えて集まってきた子供達を見守るように大きな月も顔を出す。夏休みも終わりの一日、「よき木」の下のお地蔵様へ集まる子供達の様子を楽しく想像させる句だ。『京の季語・秋』(1998)所載。(三宅やよい)


August 3082007

 みなでかぐへくそかづらのへのにほひ

                           松本秀一

くそかずらは漢字で書くと「屁糞蔓」。写真を見ると中心に濃い紅色を置いた白い可憐な花なのに、どうしてこんな身も蓋もない名前をつけられてしまったのだろう。枝や葉に匂いがあるらしいけど、そんなに臭いのだろうか。まだ嗅いだことのない私にはわからないけど、この名をみると確かめてみたくなる。俳人はちょっと変わった植物が好みの人が多い。イヌフグリ同様、へくそかずらにもファンが多いことだろう。分類では晩夏になっているが、9月ごろまでその姿を見ることができるようだ。「これ、へくそかずらだよ」「へぇーこれがね」吟行へ出かけても一人は植物の名や鳥の名前に詳しい人がいる。そんな仲間に教えられみんなで頭を寄せ合ってへくそかずらをふんふん鼻をならして嗅いでいるのだろう。子供達が膝を折って輪になって座り「臭いね、ほんとに臭いね」と花を回して確かめ合っている様子なども想像されて楽しい。ひらがなに揃えた旧仮名の表記がへのへのもへじのようで、ユーモラスだし「へのにほひ」とずばり切り込みながらも下品にならず、牧歌的な情景とともにしっかりと記憶に残る。もし「へくそかずら」と出会う機会があるなら、この句を思い出しながら匂いを嗅いでみたい。『早苗の空』(2006)所収。(三宅やよい)


September 0692007

 いま倒れれば鶏頭の中に顔

                           渡辺鮎太

っと固まって咲く鶏頭は、はかなげな秋の花と違いどこか不気味な面持ちをしている。もともとは熱帯アジア原産で、古く日本へ渡来したと辞書にあるから長い間観賞用の花として愛好されてきたのだろう。この花を気持ち悪く思う私にはどこが良くて花壇に植えられているのかさっぱりわからない。「いま倒れれば」といきなり始まる唐突な出だしは前のめりに倒れそうになった瞬間心をよぎった言葉なのか、それとも起こりそうもない状態を仮定しての言葉なのか。いずれにしても「ば」のあとに続く事柄が、「鶏頭の中に顔」で切れているヘンさ加減が鶏頭嫌いの私にとってはとても気になる。まっすぐ立っている鶏頭を顔で押し分けながら倒れこんでゆくシーンは柔らかそうなコスモスなどに倒れこむより現実的でちょっと毒を含んでいるように思える。鶏頭の中に顔があるシュールで大胆な構図も面白いが、実際に自分の顔が倒れこんでゆく場面を想像してみると、たくましい茎は直立したまま曲がりそうにないし、ばちばち顔に当たる葉も痛そうだ。鶏頭を詠むのに花から離れて詠むのではなく、自分の身体を倒してみる。しかも物が当たるのに一番避けたい顔を持ってきたことで句に生々しさが生まれ、鶏頭の異様な感触を際立たせたように思う。『十一月』(1998)所収。(三宅やよい)


September 1392007

 月影の銀閣水を飼ふごとし

                           藤村真理

めて銀閣をみたときは金閣の華やかさに比べて質素で地味なそのたたずまいに物足りなさを感じた。それはきっと昼間だったからで、金閣が太陽の化身だとすれば、銀閣は夜の世界を統べているのかもしれない。銀閣の前に設えた白砂の庭は銀沙灘と呼ばれ波に見立てた筋目がくっきりとつけられており、傍らには月を愛でるため作られた二つの向月台がある。「月影」は月の光そのものと、月の光に映し出された物の姿と、辞書にはある。掲句の場合は冴え冴えとした月に照らし出された銀閣のたたずまいを表しているのだろう。白砂には石英が含まれており、月光を受けるときらきら反射するらしい。「水を飼ふごとし」と表されたその様は、夜の銀閣が月の光に波音をたてる白砂の水を手なずけているようだ。趣向を凝らした言い方ではあるが、現実を超えた幽玄な銀閣の姿を言い表すには、このくらい思い切った表現を用いても違和感はない。いつも観光客の肩越しにしか見られない場所であるが、夜中にそっと忍び込んで月明かりの銀閣を見てみたい。そういう気分にさせられる句である。『からり』(2004)所収。(三宅やよい)


September 2092007

 長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず

                           伊丹三樹彦

誌「青群」に収録された伊丹三樹彦と公子の「神戸と新興俳句」の対談が面白い。十代の頃より日野草城の主宰する「旗艦」に参加した三樹彦が新興俳句の勃興期をリアルタイムで経験した話を収録している。少年だった三樹彦は数ある俳誌の中で俳句雑誌らしからぬダンスホールやヨットの見える鎧窓などをデザインしたハイカラな表紙に引かれ「旗艦」に参加したという。戦前の神戸は横浜と並ぶ国際港で、異国文化が真っ先に入ってくる場所でもあったので、モダンなものを詠み易い雰囲気があったのだろう。川名大の「新興俳句年表」を調べると、掲句は昭和13年の作になっている。「周りはもうみんな灯を消してしまっているのに、その楽器店だけは煌々と照らしておりまして、音を発する楽器がまったく音を発しない。そういう存在になって、なんとなく不気味であるというふうな…」という印象のもとに書かれた句であると対談の中で作者が述べている。年表には同時期の作として「燈下管制果実の黒き種を吐く」が並んでいるので、今のように灯りが煌々とつく街にある楽器店とは様子が違うのだろう。部屋の隅に鳴らない楽器が固まって置かれている情景を想像するだけでも説得力のある句であるが、時代を語る夫妻の対話をもとに句の背景を知って読み返すとまた違う印象があり、貴重な資料であると思う。俳誌「青群」(第5号 2007/09/01発行)所載。(三宅やよい)


September 2792007

 銀河から鯨一頭分の冷え

                           大坪重治

は体長が20〜30メートルに達する巨大な海の生き物。現実にいる動物だが、その全容を見た人は少ないだろう。このごろは近海で鯨ウォッチングが出来るらしいが、運よくめぐり合えたとしても海面からのぞくのは頭とか尾の一部だろうし、犬や猫のようにこのぐらいと手を広げて大きさを示せるものでもない。日常から遠く、どこか夢のある生き物だ。その鯨と銀河の意外な結びつきがいい。一頭分の鯨の嵩を「冷え」の分量に喩えているのも面白い。肉眼で銀河を見るには街から遠い山奥でないと無理だろう。人里はなれた場所で首が痛くなるぐらい頭をそらして見上げる。目がまわりの暗さに慣れるにつれ、空の真ん中を流れる光の帯がだんだん濃くなってくる。闇に浮かび上がってくる数知れぬ星々に日々追われる現実時間と次元の違う時空間が広がる。冬の冷たさは足元からきりきり這い登ってくるが、この句の「冷え」は銀河のきらめきが秋の夜の冷気になって降りてくるみたいだ。鯨の深みある黒く大きな身体のつるつるした肌触り。冷えの分量を「鯨一頭分」と言い切ったことで銀河から泳ぎ出た鯨が夜空そのものになって見上げる人に覆いかぶさるようであり、銀河の冷気が鯨に形を変えてプレゼントされたようにも感じられる。『直』(2004)所収。(三宅やよい)


October 04102007

 すぐ失くす「赤い羽根」とはおもへども

                           吉田北舟子

朝の駅前でボーイスカウトの子供達が声を張り上げて募金を呼びかけていた。NHKのアナウンサーや国会で答弁する政治家の背広の衿に赤い羽根が目につくのもこの時期。なぜ赤い羽根をつけるのか、その由来を共同募金のサイトで調べてみた。アメリカで募金に協力した人々が水鳥の羽根を赤く染めて胸に飾ったのが始まりとか。赤は勇気と善行をあらわす色だという。募金を呼びかけるのも、募金箱にお金を入れるのもちょっとした勇気が必要だからだろうか。募金せずとも学校や職場ではわずかな引き落としで全員に配られていたように思うけど、あの赤い羽根はどこに消えているのだろう。襟元にとどまっているは数日でその後は、捨てているのか、抜け落ちているのか。最後まで見届けた記憶がない。北舟子(ほくしゅうし)がいうように、「すぐ失くす」「赤い羽根」と思いつつも、配られれば配られるまま胸につけ、失くしたら失くしたで気にもとめない。「ども」と言いよどんだあとのささいなひっかかりを言外に表現できるのも俳句ならではの働きだろう。かくて、今年こそは赤い羽根の行方を、と思ってみたけれど、明日になればこの決意も忘れてしまいそうだ。「現代俳句全集第一巻」(1958)所載。(三宅やよい)


October 11102007

 菊の香や仕舞忘れてゐしごとし

                           郡司正勝

は天皇家の紋章にもなっているので古くから日本独自の花と思っていたがそうではないらしい。万葉集に菊の歌は一首も含まれていないという。奈良時代、まずは薬草として中国から渡来したのが始まりとか。中国では菊に邪を退け、長寿の効能があるとされている。杉田久女が虚子へ贈った菊枕はその言い伝えにあやかったのだろう。沈丁花や金木犀は街角で強く匂ってどこに木があるのか思わず探したくなる自己主張の強い香りだが、菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる匂いのように思う。菊は仏事に使われることも多く、掲句の場合も大切な故人の思い出と結びついているのかもしれない。胸の奥に仕舞いこんだはずなのに、折にふれかすかな痛みをともなって浮き沈みする記憶とひっそりとした菊の香とが静謐なバランスで表現されている。作者の郡司正勝は歌舞伎から土方巽の暗黒舞踏まで独自の劇評を書き続けた。「俳句は病床でしか作らない」とあとがきに綴っているが、句に湿った翳りはなく「寝るまでのこの世の月を見てをりぬ」など晩年の句でありながら孤独の華やぎのようなものが感じられる。『ひとつ水』(1990)所収。(三宅やよい)


October 18102007

 柿を見て柿の話を父と祖父

                           塩見恵介

の家にいっぱい実った柿がカラスの餌食になってゆく。柔らかく甘い果物が簡単に買える昨今、庭の柿の実をもいで食べる人は少ないのだろうか、よその家の柿を失敬しようとしてコラッと怒られるサザエさんちのカツオのような少年もいなくなってしまった。地方では嫁入りのときに柿の苗木を持参して嫁ぎ先の庭に植え、老いて死んではその枝で作った箸で骨を拾われるという。あの世へ行った魂が家の柿の木に帰ってくるという伝承もあるそうだ。地味で目立たないけど庭の柿はいつも家族の生活を見守っている。春先にはつやつや光る柿若葉が美しく、白く小さな花をつけたあとには赤ちゃんの握りこぶしほどの青柿が出来る。柿の実が赤く色づく頃、普段はあまり言葉のやりとりがない父と祖父が珍しく肩を並べて柿の木を見上げながら何やら嬉しそうに話している。「今年は実がようなったね」「夏が暑いと、実も甘くなるのかねぇ」というように。夫婦や親子の会話はそんな風にさりげなくとりとめのないものだろう。掲句には柿を見て柿の話をしている父と祖父、その様子を少し距離を置いて見ている作者と、柿を中心にしっとりつながる家族の情景を明るく澄み切った秋の空気とともに描きだしている。『泉こぽ』(2007)所収。(三宅やよい)


October 25102007

 君はきのふ中原中也梢さみし

                           金子明彦

季句。梢は「うれ」と読ませている。一句の中心をどこに絞り込むのか。一人の詩人が残した透明な詩と強烈な個性が、季語に変わって人々の様々な連想を磁石のように引き付ける。今年は中原中也生誕100年。10月 22日が彼の忌日にあたる。「君はきのふ中原中也」この不思議な措辞は、ナイーブな心を持った友人に「きのう君は中原中也のように振舞ったね。言葉に妥協を許さず、悲しいぐらいに粗暴になったね」と語りかけているのか。それとも「きのふ」というのは遠くて長い輪廻転生の時間で、自分のすぐ近くにいる生き物に「君は中原中也の生まれ変わりだね。」と、話しかけているのか。そしてふっと視線をそらした先には木の葉を落とした樹がその細い枝先を虚空に伸ばしている。「梢(うれ)さみし」は青空に冷たく際立つ梢の形容であるとともにそれを見つめる作者の心の投影でもある。せつなさの滲む口調が直に心にふれてくる中也の詩を思い起こさせる。「町々はさやぎてありぬ/子等の声もつれてありぬ/しかはあれ、この魂はいかにとなるか?/うすらぎて 空となるか?」(臨終)作者の金子明彦は下村槐太の「金剛」に所属。その後林田紀音夫らとともに「十七音詩」を創刊した。『百句燦燦』(1974)所載。(三宅やよい)


November 01112007

 空箱の中の青空神の留守

                           高橋修宏

う今日から11月。年齢を重ねるごとに一年が過ぎるのがどんどん早くなる。秋たけなわの10月。年も押し詰まり気ぜわしい12月の間に挟まれて、秋と冬の移行期にある11月はぽかっと空白感の漂う月。11月を迎えるたびに「峠見ゆ十一月のむなしさに」という細見綾子の句が心に浮かんでくる。空箱の中に青空がある景色は不思議で作り物めいている。が、オフィス街のビルを空箱と考えてその窓々にうつる青空を見上げていると、なるほどビルの中に青空があるようだ。反対に青空を映しているオフィスの内にいて窓から外を見ると、果てもない青空に封じ込められている気がする。「の」と「の」の助詞の連続に外側から見る青空と内側から見る青空がだまし絵のようにひっくりかえる。たたけばコンと音がしそうに乾いた冬空はベルギーの画家ルネ・マグリットが好んで描いた空のイメージ。どこかウソっぽく見える青色はこの画家が描く空と質感が似通っている。「神の留守」は陰暦十月の異名。日本全国八百万の神が出雲大社へ参集し、日本の神社の神様が不在になる月。そんな物語めいた季語が句の雰囲気とよく調和しているように思える。『夷狄』(2005)所収。(三宅やよい)


November 08112007

 急行の速度に入れば枯れふかし

                           西垣 脩

日より立冬。日中は上着を脱ぐほど日差しも強く、冬の寒さにはほど遠いけど、「立冬」と呟いてみればめりはりのきいたその音に身の引き締まる思いがする。都会の駅を出て、郊外へ向かう電車だろうか。まずこの句を電車に乗っている乗客の視点から考えてみると、ゆっくり走っているときにはまばらに見えていた枯れ草や薄が速度をあげることでひとかたまりに流れてゆき、枯れた景色の懐ふかく入ってゆく印象がある。「速度に入れば」の「入る」という言葉は、加速すると同時にその景色の中へ入ってゆく気持ちを表しているようだ。次に小高い場所から電車を見下ろす視点から考えてみると、金色に薄の穂のなびく河原か野原。それともすっかり木の葉を落とした山裾の冬木立へと速度ののった電車はたちまちのうちに走り去り、辺りはもとの静かな枯れ色の景に戻るのだ。都会の中を走る通勤電車では気づかないが、休日に郊外へ向かう電車に乗るとてっぺんの薄くなった木立に、収穫の終わった畑地に、季節が冬へ向かって動き出しているのがわかる。そんな変化のひとつひとつに心を移していると、子供のころ靴を脱いで座席によじのぼり、鼻を車窓に押しつけて景色を眺めていた楽しみがよみがえってくるように思える。『現代俳句全集 第六巻』(1959)所載。(三宅やよい)


November 15112007

 練乳の沼から上がるヌートリア

                           小池正博

年前だったか小春日和の川べりを歩いているときに巨大ネズミのような生き物が川面にぬっと顔を突き出したので、心臓がずり落ちるほど驚いたことがある。後で調べてヌートリアという名前を初めて知った。関西や中国圏に多く住んでいるらしいが、もともと軍事用の毛皮をとるために移入して養殖された帰化生物ということだ。「ヌートリアと冬日を分かち合ひにけり」と大阪に住む俳人ふけとしこが詠んでいる。今は作物を荒らしたり堤防に巣穴を作ったりして危険ということで、駆除の対象になっているらしい。人間の勝手で移入されて、生態系に害を与えると駆除される。沖縄のマングースをはじめ、人間の浅知恵に振り回されて生きる動物たちも楽ではない。ねっとりと白く汚染された練乳のような沼から顔を出すヌートリア。まったく私たちの生きる世の中だって練乳の沼と同じぐらい底の見えない鬱屈に覆われた場所なのだから、お互いさまと言ったところか。沼から上がるヌートリアの姿に実在感がある。作者は連句に造詣の深い川柳作家。俳人の野口裕と立ち上げた冊子「五七五定型」からは同じ韻律をもつ詩型を従来にない視点で捉えようとする二人の意欲が伝わってくる。「五七五定型」(第2号2007/11/10発行)所載。(三宅やよい)


November 22112007

 風冴ゆる熱燗少し溢れ出る

                           江渡華子

曜日、東京では木枯らし1号が吹いた。気象庁のホームページによると、まず期間は10月半ばから11月末日まで。気圧配置が西高東低の冬型であること。関東地方(東京地方)に吹く強い季節風であることなど。これらの条件を満たすものが木枯らし1号と認定されるらしい。木枯らしが吹いたあと風は刺すように冷たくなってゆく。いよいよ本格的な冬の到来。熱燗、鍋のおいしい時期を迎える。居酒屋で継いでもらった酒が勢いあまっておちょこをつうと溢れでる。ときおり店の引き戸を揺する風の音が外の寒さを感じさせる。継いで継がれて話を重ねていくうちに、互いの言葉がお酒にぬくもった胸に少しずつ溶け出してゆく。透明にあふれ出る熱い酒と凍るほど冷たい風との取り合わせがよく効いている。そんな情景を考えてみると世情に通じた年齢の俳人が作ったように思えるが、作者は1984年生まれ。「布団干す故郷は雪が深いころ」「歯ブラシを変えた冬の風香る」これらの句からは遠くふるさとを離れてひとり都会で暮らす若い女性の気持ちがじかに伝わってくる。句集にはどこか老成した句と初々しい感性の句が混在しているが、どの句からも対象を見つめる作者のまっすぐな視線が感じられる。『光陰』(2007)所収。(三宅やよい)


November 29112007

 ふりむけば障子の桟に夜の深さ

                           長谷川素逝

面台で顔を洗っているとき、暗い夜道を歩くとき。背後はいつだって無防備だ。掲句には一人夜更かしをしていて、ふっとわれに返り振り返った瞬間、薄闇に沈んだ障子の桟が黒々と感じられた様子が捉えられている。昔はひとり起きているのに今のように煌々と電気をつけることはなかった。せいぜい六畳間の端に寄せた机に笠をかぶせたスタンドで手元を明るくするぐらいだった。私が住んでいた古い家は夜になると日中暖められた木が冷えて軋むのか、廊下で、天井でときおり妙な音がした。夜の家は物の怪が練り歩いているようで不気味だった。作者も何か気配を感じて振り向いたのだろう。自分が感じた濃密な雰囲気を表現するのに視線の先をどこに着地させるか。障子全体ではなく障子の桟に限定したことで、ひとりでいる夜の空気を読み手に生々しく感じさせる。夜を煌々と照らし、身辺に何かしら音があることに慣れた現代人の失った暗黒と静寂がこの句から感じられる。それは人がひとりに帰り、自分と向き合う大切な時間だったのかもしれない。「素逝の俳句を読むと、表現ということと見るということの二つを特に感じる。」と野見山朱鳥が述べているが、この句にも素逝の感性の鋭さが視線となって、障子の桟に突き刺さり、そこによどんでいる不安を「夜の深さ」として表しているように思う。『定本素逝句集』(1947)所収。(三宅やよい)


December 06122007

 月光とあり死ぬならばシベリアで

                           佐藤鬼房

房は昭和15年入隊。中国から南方へ転進、スンバワ島で終戦を迎えた。太平洋戦争当時青年期を迎えた男達は否応なく戦争に駆り立てられていった。鬼房は南の島で囚われたが、ソ連の虜囚となった何万もの日本兵はシベリアの強制収容所に送られた。その中には中国でたまたま同じ場所に居合わせた部隊もあったかもしれない。シベリアの大地を照らす月は寒々とした冬の月を思わせる。寒さと飢えに苛まれた日常と労働がどれほど厳しいものであったか、その痛苦の体験から掴みとったものを香月泰男は絵に、石原吉郎は詩や文章に表している。収容された多くの人たちは再び故国の土を踏むことなくシベリアの凍土に葬られた。「死ぬならばシベリアで」の言葉には、望郷の念を胸に短い生涯を終えた同世代の青年たちへの愛惜がこもっている。同じように捕虜になった自分が無事帰還したことに傷のような負い目も残ったかもしれない。そうでなくとも、この時代に青年期をくぐりぬけた人達は若くして戦死した仲間に対して自分たちが生き延びたことに、すまなさに似た気持ちを持ち続けていたように思う。鬼房と同年齢のうちの父などもそうだった。世が繁栄すればするほど戦争の記憶は陰画のように心の底に焼き付けられたままであったろう。死ぬならば、の呼びかけは生きながら月光を浴びる鬼房のかなわぬ願いだったのかもしれない。『現代俳句12人集』(1986)所載。(三宅やよい)


December 13122007

 てめえの靴はてめえで探せ忘年会

                           山本紫黄

年もあとわずか。毎晩どこかで忘年会が開かれていることだろう。会も無事終わり「いいお年を」と声をかけあって、酒席を後にしたものの、その後の混乱がこれである。このごろは上がり口で個別に靴を入れて下足札をもらうところも多いようだけど、土間にずらりと黒革靴が並べてあれば、騒ぎは目に見えるようである。サイズやくたびれ具合もほぼ同じ靴のどれが誰のものやら酔眼で見分けるのは容易ではない。掲句はそのてんやわんやの騒ぎを自分も一緒に靴を探しながら楽しんでいるのか。または、自分の靴を自分で探そうとせずに、「俺の靴はどこだ、早く探せ」と部下を顎で使って靴を探させている上役に投げつけられたタンカなのか。どちらにしてもこのような言葉を俳句に入れるのは簡単そうに見えて難しい。その場の状況を一言で想像させる力、言葉の切れのよさと勢いと。そしてこの場合の季語は職場の全員が集い、一年の労苦をねぎらう「忘年会」がぴたりと決まる。この作者にお会いしたことはないけど、俳句でこんなタンカが切れるのだから、普段は物静かな紳士だったのだろう。「これは俳句といえないのでは」という句会での評に「僕が俳句というのだから俳句だ」と断じたのは師の西東三鬼だったと池田澄子さんから伺った。山本紫黄氏は今年八月、第二句集『瓢箪池』を上梓された直後、急逝された。『早寝島』(1981)所収。(三宅やよい)


December 20122007

 肉買ひに出て真向に吹雪山

                           金田咲子

ずこの俳句を読んだ私の頭に思い浮かんだのは肉を買いに出た作者の顔へ直に吹雪が吹きつけてくる景だった。だが、落ち着いて最後まで読み下してみれば「真向に吹雪」ではなく「真向に吹雪山」であり、吹雪いているのは、作者のいる場所ではなく、遠く雪雲に曇る正面の山であることがわかる。しかしそう理解した後も今度は暖かい家から吹雪の山へ飛び出していく作者の姿が見えてしまい、なかなか言葉通りの遠近感が戻ってこないのはなぜだろう。肉を買いに出る行為は日常の些事ではあるが、肉と吹雪がくっきりしたコントラストを形作っている。生々しく赤い肉には冷たさと同時に熱を呼ぶ力があり、吹雪には全てを白く覆いつくす暴力的なエネルギーがある。俳句では只事に思える出来事が言葉の組み合わせによって思わぬ像を結ぶときがある。言葉によって喚起される連想が意外なイメージを形作ることは、句会などでよく経験することだ。この句の場合は「肉」と「吹雪」の取り合わせの妙と、末尾の微妙な切れ方が読み手の想像力を刺激し、肉を買いに出るという日常的な行為が激しく吹雪く遠くの山へ肉を買いにゆくような不思議な距離感を感じさせるように思う。『現代俳句の新鋭』(1986)所載。(三宅やよい)


December 27122007

 太箸に飼犬の名も加えけり

                           清水凡亭

日は御用納め。週末から年用意を始められる方も多いだろう。太箸は新年の雑煮の餅をいただくのに、折れては縁起が悪いので柳などで作られるという。赤や金のふち飾りのある箸袋へ墨をたっぷり含ませた筆で家族一人ひとりの名前を書いてゆく。娘や息子も別世帯を持ちいまや家族は夫婦のみ。あまった箸袋の一つに飼い犬の名前を書いてやる。昔は犬を人間なみに扱う飼い主をどうかと思っていたけど、身近に犬を飼うようになりその温もりに慰められている今となっては作者の気持ちはよくわかる。家族が共に過ごす時間はずっと続くかのように見えて限られているもの。いつもテーブルの下にいる犬の名前を書き添えた太箸をテーブルに置いてお雑煮をいただく。これが猫の飼い主なら箸袋に飼い猫の名前を書くだろうか?何となく猫派は書かないような気がするのだけど、どうだろう。作者凡亭は清水達夫「戦後雑誌の父」とも言われた編集者。初代編集長をつとめた「平凡パンチ」「週刊平凡」を百万部雑誌に育てあげたと、その略歴にある。「生涯一編集者かな初暦」「本つくる話はたのし炉辺の酒」これらの句にあるように最後の最後まで編集に意欲を燃やし、新しい雑誌の企画を仲間と練り続けた人だったらしい。『ネクタイ』(1993)所収。(三宅やよい)




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